7番のセカンド理論は禁術

 社会人となって10年目だが、今年度に入って、仕事の質が明らかに変わってしまった。そもそも、人事異動で、担当する業務が変わったということが大きくはあるものの、頭の使い方が一段上がったとでも言うべきか、落語家で言う、前座から二つ目になったような具合だ。
 それは、多かれ少なかれ、新型コロナの影響もあるのだが、元凶は、前任が死んだのかと思うほどに、業務の引き継ぎがなされておらず、日々、こんなこと聞いていないんですけどの連続であり、全く新しい業務を調べながらやっているので、毎日、脳がくたくたになってしまっている。
 さらに、前例をもとに仕事をしていたら、その前例と同じ基準であれば通過していたようなことが、同じ上司から撥ねられるということがとても多く、それも異常なストレスになっている。このことに関して指摘を受けたりすると、俺が悪いのか、という気持ちになっていたのだけれど、冷静に考えたら、俺は悪くないだろということになり、幾分か楽になった。とにかく、前任が死んだと思い込んで仕事に取り組んでいる。
 そんななか、キポさんこと、オードリーの若林正恭が、『あちこちオードリー』で、7番のセカンド理論を熱く話していた。
 平たく言えば、褒められないけれど、エラーしたら叩かれる7番のセカンドに自らを見立てるという論なのだが、聞いた瞬間に危ない!!!と思ってしまった。 
 毎日、ミスをしてしまっているということと、昨年度、数年、手がつけられていない業務を一年かけてやって、結果、給料一年分以上の成果を出したのだけれど、まじで誰からも一切褒められず、めちゃくちゃビビっていて、かつ飲み会がないから、そのことをネタにすることも出来ないという現状にバッチリ、リンクしてしまって、思わず、そう叫んでしまった。
 僕に限らず、三十代半ばに突入した、文系カルチャーボーイは、この反応に共感してもらえるのではないだろうか。少なからず責任を負わなければならなくなり、そのことで仕事の質が増えるが、気持ちは変わっていないから、小慣れた感じで仕事をしていると、カウンターのようにミスを連発する。そんな時に、この若林の7番のセカンド理論は、あまりに魅力的である。だからこそ、あまりに危険である。まさに禁術である。これに頼って、甘えていたら、キメラを産んでしまう。そう思い、この理論を忘れることにした。
 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』の文庫版を読んだ。もちろん、単行本で読んでいたのだが、モンゴル、アイスランド、コロナ禍の東京についての書き下ろしが読みたくて購入したのだが、結果はそれだけでもじゅうぶんに満足する文庫化であった。
 ただ、一番喰らったのは、DJ松永による解説だった。書かれているのは、本人もいうように、本の解説でなく、私信のようなもので、そこには、衒いも照れもない若林への想いが綴られていた。まるで、少し前の自分のような熱い想い。
 帯の裏には、DJ松永の解説から引用された「俺は誓いました。あなたのように生々しく生きていこうと。」という一文が書かれていた。20代にしか表明できないその一文のことをしばらく考えていた。

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