無観客でネタをやることへの試論

 マイナビラフターナイトを毎週聴いている。もともとこの番組は、観客を入れてライブのような形でオーディションを行っていてオンエアするネタを決めていたが、現在はコロナ禍のため、観客は入れない配信という方法に変わっている。
そのため、もともとはかなりライブ感がある番組だったが、今は、ほぼネタの音声だけを流しているのだが、それをずっと聞いていると、無観客でネタをやり、それを聞くということに色々と気付きがでてくる。
 まず、笑い声がないとグルーヴが生まれないため、乗り切ることができない。なので、ボケだと分かっているが、これは本当に面白い発想なのかと分からなくなってしまう。
 タイタンライブで見て爆笑したキュウのヨーグルトも、2回めだということを差し引いてもかなり落ち着いて聞いてしまっていった。
 逆に蛙亭やファイヤーサンダーとかは、客の笑い声がなくても、揺らがない面白さがあった。コントは無観客に強い印象を受ける。他方、漫才は、声のトーンや笑い待ち、テンポなどの脚本以外の部分の多くが観客の反応を受けての微調整によって成り立っていることが見えてくる。だから技術が足りないと、微妙な誤差が積み重なって、途中から全く入ってこないようなネタになってしまっていることが多い。要は安易な誤魔化しが通用しないことになる。
 よく、養成所やライブのネタ見せで、笑いが全く起きないという話を聞くが、それは単純に尖っているからということではなく、そういうこともあるのではないかと思ってくる。
 ネタの純度と強度が試されることになるのだが、それだけでは無い感じもする。
 とはいえM-1でキュウと真空ジェシカらが予選を一位通過したのは、当たり前のような気がしないでもない。
 かなりネタを見てきて、自分で判断し笑っているようにも思っていたが、案外それすら幻想だったような気もしてきている。

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