ちっぽけフラクタル.
ちっぽけであることは同時にちっぽけである.
最近はこの言葉を慈しんでいる.
どんな物事も「だから」「どうせ」で簡単に時に流せてしまう.どれだけ努力しても足掻いていることには変わりはなくて,為すこと全部がちっぽけなことには変わりない.
厭世的だけども,そんな考えを一旦通ることにした方がいい気もする.
少なくとも僕の気分は軽くなる気がする.
ちっぽけであることはフラクタルに輪廻するし,重要なのはそれを受け入れて,それをどこで停止ボタンを押せるかだと思う.
停止ボタンのタイミングが重要だと思う.
少しでも前向けるくらい現実から目を逸らした丁度いいところで生きてみるのがいいと思う.
最近の悩みは,もうだいぶと一周してきてあとは実行するかしないかの状態になってきた.意識において言語化が進み,自分をある程度の解像度で眺めることができるようになった.
そこで惰性的につぶやくしかなかったのが
「ちっぽけであることは同時にちっぽけである」ということなわけで.
あとは肉体疲労や眼精疲労やなんやらで思考力を奪っていくのが吉なようにも思えてきた.
考えるだけ無駄で朦朧とする中で物事を捉えて,なるべくしらふで現世を生きないようにしたらいいと思った.お酒はあんまりよくないから身体性を過剰に行使した疲労を常に持っておくべきだと思った.お酒は別に健康に気を使ってという訳ではない.しらふと酔いの狭間が自覚しやすいという理由であんまりよくない訳で,健康のためにとかいう人間はどんだけ生きるつもりだよとあんまり共感できない.
でもまあ,といいつつ眠ってしまう.身体はよくできているなとつくづく思う.
でもそうすると,ちっぽけであることに自我が耐えきれなくて坩堝と化すし,どうやら,しらふじゃ駄目だということは分かっていて,そんな板挟みにここ一年挟まっている.
でも意識の範疇を自分自身で無自覚に冒涜しはじめた頃だし,もう少しで抜け出せそうな気もする.このnoteも深夜に書く始末で,以前だと読みやすさとか読む人の気持ちとか自分の背伸びなんかもあったりして,機微に神経を張っていたけれど,今となっては深夜の微睡みで指を動かしているくらいのお気持ちで文字を羅列している.
とにかく,まあちっぽけであることはフラクタルで輪廻するから,しらふで生きるのはしんどいよね,自分なりの方法で酩酊して世界を一旦捨てれるような状態にしておくべきだよねという酩酊した話.
のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.