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上京.

半年前まで通っていた芸術大学を中退してから上京するまで実家のある大阪にいた.

2019年9月6日,そこから僕は夜行バスに揺られ上京した.
おそらくいつかの僕の初心になると思うから言葉に頼って上京までの経緯を記録する.

上京,それは夢を追う第一歩としての象徴かのように良い響きだった.

ただ東京を拠点にするだけだ.それだけのことにその響きは幻想しか与えない.
上京の理由は人それぞれあると思うけど僕は素直に感受性を使い果たしたからだ.

僕自身,僕の感受性が揺れ動かないことに自覚し始めた惰性の日常から上京までをここに残していこうと思う.


人間の底をみてみる勇気が僕にはなかった

大阪にいたときから葉巻きを吸うようになったのも仕方がない.珈琲の苦味を好むようになったのも仕方がない.かと言って珈琲の味もわからないのにちょっとお高めの喫茶店に入って散財してしまうのも仕方がない.
疲弊した感受性を少しでもゆすり起こすために僕はぼく自身を少しずつ蝕むしかなかったんだと思う.あんなに鬱陶しがっていた父の煙草も今ならわかるようになった気がする.
でもまだ足りない.葉巻きも健康が気になって肺までは入れずにふかすだけだし,散財も通帳残高みながらやってるだけだしどうしようもない程に思い切りが足りなかった.

パチンコもたまにするようになった.
パチンコ屋で働いたりもした.凄まじい音も気にならなくなった.パチンコ屋で働いてると周りは何十万負けた,勝ったとかいう話が聞こえてくる.そんな周りと比べて後先を考えて1円パチンコしか打てない自分が嫌いだった.
全うなのかもしれない,でも精一杯勝つことも負けることもできない.のめり込めない僕はまだまだ理性が強すぎた.

もちろんこれからどうしようかと考えたこともあった.頭で考えて分かるわけない.だからこうしてパチンコ台にまで辿り着いた.理性の中は空っぽだと知っても尚,思い切りが圧倒的に枯渇している.1円パチンコを惰性で打つ僕は少しもぼくを蝕んでくれない.1円パチンコで勝った時にくすぐってくる半端な優越感も不快でしかなかった.

肉体は精神に少なからず作用するとおもってた.
だから大阪で半月間,放浪生活も試した.

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どうやって寝るかそればかりを考える肉体優位の生活.

通勤電車に乗って忙しないピストン運行の地下鉄に座って寝たり,ショッピングモールの店舗のあいだなんかにある休憩スペースで寝たりもした.うるさいのがネックだけど大勢多数の社会の目があるから安全なんだ.これがビットコインの仕組みかと思いながら寝てた.でも寝た気がしなかった.

1620円.
これがそのとき知ったネットカフェでの朝9時までの安息の対価だ.

でも僕にとって1620円はそこそこ高価で毎晩払えるお金なんてないから充電コンセントのあるマックやガストで夜を明かすことが多かった.

夜,電飾が煩い道頓堀を歩いていた.
キャッチがいる.鬱陶しい.顔を下に向けてあからさまに無視をして早歩きをした.さっきまで愛想の良かった声が一変してひとりのキャッチに「無視すんなよ,死ねや」と吐き捨てられた.

足早にその場を去ったあと僕は驚いた.全く傷まないぼくの心に心に感覚的になれない感覚がひどく虚しかった.

このときどうにかしないとと思った.


消去法ででた上京という選択

肉体の疲弊に精神は一向に反応してくれない,だから環境をかえるしかないんだと思った.出した答えが上京だった.

現在,東京都足立区にいる.郊外なので大阪と風景は何も変わらない.だけれども知り合いが一人もいないから大阪じゃないんだなってことに気づく.

僕は自称2Dクリエイター.
こっちでしばらくデザインとイラストでやってみることにする.

上京という妥協点が分岐点になることを祈って僕は東京の空気を吸っている.

のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.