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慰めと窘めのシャッター音.

ぼくは,なぜシャッターを切るんだろう.


シャッターを切る行為は現存する世界から風景を切り取るということで,切り離すことだと思う.

ぼくは多分,風景を切り離すことでモティーフを孤立させ,独りを強いるためにシャッターを切っているのだと思う.

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だから、空に惹かれるのだと思う.空はなるべく無垢だから.


とっておきに孤立させるために.


真っ白が無垢っぽいとして,作品を際立たせるために,作為と無作為を選り分けるために,ギャラリースペースは真っ白に塗られる.だけれども,それは色彩的なお話で,物理的なお話ではない.


物理的には無なようで深淵のような大気を好んでいるからぼくは空に惹かれる.
だからぼくは上を見上げて,カメラを顔より上に持ち上げてシャッターを切ることが多いのだと思う.

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独りでもやり続けれられることがぼくは個として,はじめて重さではなく見いだせる質量だと思っている.だから,ぼくはシャッターを切ってモティーフを孤立させ,そこに自身を投影しては慰めと窘めとして鼓舞しているのだと思う.


悲観


ドブみたいな作品が溢れる情報化社会と,ドブみたいな作品と作品を見紛い,不特定多数の他者の信仰の集積に価値を見出す,主語がいつまでたっても自分以外がない質量のない人間を横目で流しながら,それでもつくり続けなければ報われず,つむり続けないといけないヘドロみたいな現状にはいつも独りでなければいけない.

灰になったときにやっと遺る質量を捜して,独りで向き合い続けなければいけないと思う.一人ではない.一人ではやっていけない.

精神的に一人という意味での独りであり,悲観しているわけではなく対社会の常套手段であるだけだ.塞ぎ込んでいるわけでもない.それにこの脆さと尊さがお気に召している.


だから,多分.

モティーフをとっておきに孤立させ,自身への慰めと窘めとして,ぼくはシャッターの音を聴いているだと思う.



文・写真 梅野さなた

のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.