右脳が弱くなった.
2月頃は毎日noteを書いていたけど,息切れしたのでしばらくお休みしてた.
だけど久々に自分のnoteを読み返してみると楽しかったので再開することにしました.当時こんなこと考えてたんだなということが記録になっていて僕自身が楽しかったのでもう一度書き始めることにしました.
いつ,また息切れするか分からないけど.
右脳が弱くなった.
小中高のときは基本的に3DCGのモデリングデータみたく脳内でイメージがくるくるとしていた.
でも,大学時代に本を読み始め,文章を書くことが増え,いつしか脳内はくるくるしなくなって.出てくるのは言葉や概念ばかりなった.
他人とコミュニケーションをとることが増えたから仕方ない.
イメージを絵に描いてみせる時間はないし,言葉の方が手っ取り早い.なんせ言葉は雄弁だ.言葉にすることで確実に物事を伝えることはできる.
そして僕は論理を覚えた.
論理を覚えて,より一層言葉を使い始め,より深く言葉を考え始めた.だれかの嘘も言葉のひっかかりがなんとなく教えてくれるようになった.論理を重ね合わせるのが習慣になっていった.だけれど,論理はだんだんと僕を不自由にしていってしまった.
左脳が強くなった
僕はなにかを創りたい.
クリエイティブを志向する僕にとって左脳が強くなりすぎるのは好ましいことではない.
絵を描こうとするとき,デザインをしようとするとき,モデリングしようとするとき,どのシーンでも手順を追うようになった.
論理がクリエイティブなシーンでも過保護になってきた.
いきあたりばったりではなく,手順を脳内でイメージしてイメージができたあとにやっと手が動き始める.手を動かすのに一定の論理性を伴わなければならくなってきた.手を動かしてトライアンドエラーを繰り返した方が効率のいいときでも手は硬直するようになってしまった.
偶然を許してくれない.
左脳のせいにしている僕はどうかと思う.でもたしかに脳は,僕は失敗を恐れるようになったと思う.先を見渡せない不安を感じやすくなった.浅はかな偽物の正しさに縋るようになった.
ああ,右脳.負けないで.
と言い,noteを再開するという矛盾を抱えながら,僕はぼくの右脳を応援していきます.
のらりくるりと芸術大学中退. 1998年製. 空気を画素におとしこもうと風景をパシャり.二次元(平面)と三次元(立体)の次元間の往来を主題に作品を制作しています.また言語バイアスによる対象からの各個人の情緒レンダリングを試行しております.