褒められたい私

仕事をするようになって、自分が育児の何を大変だと思っているんだろう、客観的に見ることが多くなった。

その中の1つは、大変な中頑張っている私を誰も見てくれていないことではないだろうか。

頑張ってるんだから褒めて欲しいなんて、子どもじゃないかという気がする。
でも、別に褒めてくれなくてもいい。
(褒めてくれたら嬉しいけど)
ただ、私が頑張っているということを知ってくれている誰かにいてほしい。

それは、夫なんじゃないかと言われるかもしれない。でも、これは矛盾なんだけれど、ワンオペで大変な時の様子を誰かに見てほしいということなのだ。

夫には勿論話すけれど、
朝出かけなきゃ行けない時、うんちを漏らされて大変だった。と言った時、
同じ状況になったことのない夫の反応は、私が思っているよりもアッサリしている。というか、それがどんな惨状なのか、実感できないとうか、想像できないというか…。

仕事だって誰かに褒められたりするかというと、まぁそんな機会は殆どないのだけれど、
私の大変さを間近で見ている人がいる、というだけで、何だか気持ちが違う。

ママ友で集まれば、私達頑張ってるよね、この間も大変だったんだ、わかるよ!というような話になって、それでだいぶ救われるのは確かなんだけれど、その時の主語はW eになりがちだ。私、の大変さとしてはなかなか語れない。そして、ママ友同士だとより切実な子どもの情報交換を優先してしまうことも。

仕事は、同じタスクをやっている時もあれば、違うタスクもあって、互いの忙しさを個々に認め合う部分があるのではないかと思う。
そして、対価としてお給料も支払われる。

まだ上手く説明はできないけれど、そんなことを思いつつ、今日も育児をしている。

#コラム #育児

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