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種麴利用に関するメモ

 日本の酒造に用いられる麴は、室町時代の頃から専業のもやし屋が種麴を生産し、それを用いて製麴を行ってきたと言う。
 しかしながら味噌や醤油に関しては、どうにもそういうわけでは無かったようだ。



明治31年「農産製造学」

種麴一ニもやしト称シ麴製造ノ際蒸米ニ加ヘテ之ニ麴菌ノ発育ヲ促カサシムルモノナリ
従事専門ノ製造者京都大阪其他一二の地方ニアリテ酒造家味噌製造者等は之ヨリ購買シテ使用シ自己ニ之ヲ製スルモノハ甚ダ稀ナリ

43コマ 清酒製造法「種麴」

種麴の一般的説明

……糟麴トテヨク芽胞ヲ生セル醤麴ヲ混シ能ク撹拌シ……

114コマ 醤油製造法「製麴法」

「糟麴」という語は書によって異なる意味で用いられるが、ここでは以前の製麴時に出たカス
おおむね友麴法と言ってよい

……「溜リ蔵」ノ二階ニアル奄燥場ニ之ヲ運ヒ……味噌玉ハ之ヲ筵上ニ縦ニ並ヘ之ヲ蔽フニ蓆ヲ以テス

124コマ 溜リノ製造法「製麴」

自然接種

……麦麴ノ製法ヲ述ヘンニ……種麴を以テシ撹拌シテヨク混合セシメ……

126コマ 味噌製造法「田舎味噌」

大麦、種麴を使用

……円柱若シクハ菱形ヲ作リ屋外ニ乾シ少シク固クナレバ穴ヲ穿チ縄ニテ繋ギ屋内ニ懸ケ乾燥セシム凡四十日ヲ経……

127コマ 味噌製造法「仙台味噌」

味噌玉への自然接種、ただし味噌自体は米麴を別で加える

……味噌玉ニ穴ヲ穿チ縄ニテ連ラネ之ヲ天井下ニ成る可ク高ク懸ケ其醗酵シ乾燥スル……

128コマ 味噌製造法「三河味噌」

家屋での自然接種


明治37年「普通醤油及溜醤油醸造論」

 上の2つは醤油醸造論。

室入後二十二三時間を経過するときは製麴料面には之れに附着せる黴芽胞発芽して毛茸の如く白色菌糸を生ずるに至る可し

99コマ 調整原料論「製麴」

室の用意を必要とするも、種麴利用に関しての記述は無く、自然接種

盛り込みに際して「カス」麴を使用するものは寧ろ稀れに見聞きする処にして多数の醸造家に在りては之を用ゆることなし

119コマ 調整原料論「醤麴」

種菌は器具等に付着したもので十分であり、友麴法を行うのは未熟と見做されていたという
一応この書の著者自身は肯定的に見做している

 以下は溜醤油醸造論。

溜り麴を製造する場所は醸造場の階上にして普通醤油に於けるが如き特殊の麴室を設くることなし而して床は多くは竹の簀子にて作り之を掩ふに筵を以てす

220コマ 原始原料及調整原料論「製麴」

種麴利用に関しての記述は無く、自然接種
コウジカビが覆う→味噌玉を割砕、を繰り返して製造する

溜醸造家中往々麴を粉末となし之を篩ひ麴菌の芽胞を収集し之を花粉と称し……冬季の如き気候寒冷にして花付きよろしからざる際に味噌玉中に撒布すれば花付き迅速にして良好なりと称して利用し来たれるものあり

225コマ

友麴法に近いが、冬場に限定か


大正2年「新編農産製造論」

製法 精麦と麦麴の種麴を以て作る。但し種麴は必ずしも用ふるに及ばず。

45コマ 麴類製造「麦麴製造」

米麴の項では種麴を用いたが、こちらでは必須では無いとした

種麴を混じ(種麴は用ひざることあり)、

50コマ 醤油及び溜り製造「醤油製造」

またもや似たような表現

これ(注:味噌玉)を筵の上に縦に並べ、これに筵を蔽ひおき、

56コマ 「溜り製造」

種麴に関する記述は無く、自然接種


大正3年「最新農産製造学」

種麴には米麴製造用・醤油麴製造用等の別あり。……近来醸造学の素養ある人士にして種麴製造に従事するもの漸く多きを加へたり。

132コマ 殖産製造論「種麴製造」

醤油麴製造用を別のものとして扱っている文献は初見
明治44年に醸造試験所報告で「清酒ノ種麴中ノ麴菌ト醤油又ハ溜麴中ノ麴菌トノ比較研究」があり、麴間での機能性の差異を認知、別種の種麴生産が商業的にスタートしたのかと思われる

かつては京大阪等に限られたもやし屋だったが、この頃には地方にも拡散したのだろう

原料は大豆のみにして種麴を用ふる事なし。麴菌は稲藁又は空気中より来る。

138コマ 殖産製造論「溜麴製造」

溜まりの製造に関してのみは種麴を用いないとしている
自然接種であることをはっきり書いている例


大正10年「実用味噌醸造法」

味噌の醸造に於て、米麴を製造するには、一般に種麴を使用するのであるが、麦麴や溜麴を製造するには、一部の醸造家は之を使用するも、多くは使用せられてゐない……

92コマ 麴菌及び種麴「種麴」

当時の状況に関して分かりやすくまとめられている
この書の著者自身はこの続きで種麴の利用を説いている


大正13年「実用醸造物新論」

……近来は室に入れ種麴を使用する様になつたので、品質も幾分か地方的をはなれた様である。

377コマ 各論「溜」

この書では溜まり製造でも種麴を用いるようになってきたとしている


まとめ

 文献をざっと見ただけであり、ほぼほぼ推測に頼る。

  • 明治中頃までの時期においては、そもそも種麴の販売業者というもの自体が限られ、その利用もほぼ京阪地域に限られていたと見るべきか。

  • 明治後期頃には地方でも、種麴の販売を手掛ける業者が増加していった(自分達の所で得られた菌を種麴の形にして販売、というくらいかと思う)ようであるが、それでも麦や大豆の製麴においては必須では無いという見方が強かった。

  • 大正時代に入ると酒造用と醤油用で菌の能力が異なることが認知されていき、蔵における自然接種から、種麴の購入利用へとシフトした醸造者も多かったのかと思われる。

  • 醸造企業においては徐々に種麴を利用することが当然となっていき、自然接種に頼る方式は、一部の溜まり業者や家庭レベルでの味噌玉製造などに残るのみとなったのだろう。


 近年は「味噌玉」という単語が別のものに取って代わられてしまっており、検索がほとんど成り立たない。
伝統的みそ玉麹における微生物群落
 このように「みそ玉麴」であるとか、「吊るし味噌」で検索をかけるのがよいのだろう。
山岳域の「吊るし味噌」に関与する菌類相の解明


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