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ジャカルタの観光地としての魅力とは

インドネシアの観光地といえば「神々の住む島」バリ島や、中部ジャワの古都ジョクジャカルタなどが有名ですが、首都ジャカルタはビジネス都市なのでわざわざ観光するほどの見どころは少ないとよく言われます。

それでもジャカルタに出張してくるお客さんから1日または半日のアテンド(観光案内)を頼まれる場合、スカルノ初代大統領によって提案され1975年に完成したインドネシアの独立の象徴であるモナス(Monas=Monumen Nasional 独立記念塔)と、世界で3番目に大きい東南アジア最大のモスクであるイスティクラル(Istiqlal)と、その対面にあるジャカルタ大聖堂(カテドラル Katedral)の3つは、オブジェクトの背景にある歴史的価値は大きいものの、観光地としての設備が整っているとは言い難く、車中から遠目でその巨大な外観を眺めるくらいにしておいたほうが無難かもしれません。

高さ137m、頂上の炎は14mの青銅製で35kgの純金メッキが使用されています。

これが中部ジャワのボロブドゥール遺跡であれば遠目から眺めるだけでなく、廻廊を歩いて浮彫図を触りながら心を清め生きるとは何かについて考え直すことに意味がありますが、モナスの場合は灼熱の太陽の下で汗だくになって広大な敷地を歩いて、塔頂部に上るために基底部にたどり着いたと思ったら、今度は大勢の人混みの中でエレベータの順番待ちで消耗します。

イスティクラルモスクやジャカルタ大聖堂にいたっては、本来礼拝のための宗教施設であるため、観光客の見学を受け入れているとはいえ、無宗教の日本人にとって若干の入り辛さは否めません。

ジャカルタ大聖堂とイスティクラルモスクの後ろにMerdeka広場(独立広場)のモナスが見える。

ジャカルタの北部にある旧市街地コタ地区は、ジャカルタがバタビア(Batavia)と呼ばれていたオランダ統治時代の商業の中心地であり、特にコタトゥア(Kota Tua 古い都市)と呼ばれるコロニアル様式の建造物がたくさん残るファタヒラ広場(Fatahillah)周辺は、近年政府によって急速に保全工事が進められています。

コタトゥアのファタヒラ広場(Taman Fatahillah)周辺にはオランダ統治時代の歴史的建造物が多く残っている。

ジャカルタの観光地としての魅力は、地政学的にヨーロッパや周辺アジア諸国との交易上、重要な役割を果たしていた歴史にあり、実際にコタ地区を歩いてみると世界史の授業で習ったオランダ東インド会社(オランダ語でVerenigde Oost-Indische Compagnie=VOC)が統治していた時代の街の光景を想像できます。

カフェだけでなく本格的中華料理もあるVOC Galangan Cafe。

コタ地区といってもスンダクラパ(Sunda Kelapa)、ファタヒラ広場(Fatahillah)、中華街(Pecinan)、アラブ街(Pekojan)など広範囲に分かれるのですが、ジャカルタの観光地としての魅力である歴史を語る上では、バタビア時代の建造物が集中しているファタヒラ広場周辺と、跳ね橋(Jembatan Kota Intan)や東インド会社の倉庫を利用した海洋博物館があるスンダクラパ地区(Sunda Kelapa)が観光の中心になるのではないでしょうか。

インドネシアの歴史の大筋の流れの中で、17世紀から20世紀初頭までの約350年間、オランダ領東インドのバタビアの時代に建造された歴史的価値の高い建物が保全されることで、ジャカルタの観光地としての価値は十分高まると思います。