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Bakso屋の御姐さんとの会話

今日のお昼はオフィス近くの中華系インドネシア人の御姐さんがオーナーらしいBakso屋で食べたのですが、この店には過去に何度も来ていて、レジでのお会計時の下手くそなインドネシア語から、自分が外国人であることも当然バレており、レバラン休み明けのせいか客が私一人だったこともあり、ここぞとばかりに話しかけられました。

「いつ日本からインドネシアに来たのか?」「きっかけは何だったのか?」「今何の仕事をしているのか?」「インドネシア語は最初どうやって勉強したのか?」などなど、まるで尋問を受けているかのように間髪入れず質問攻めにされました。

「最初は会社勤めをしていたが、今は独立してITの仕事をしている」と言うと、マナド出身でブカシには15年近く住んでいるというこの御姐さんは「それはいい、あなたは勇気がある人だ、素晴らしい」とかやたらと持ち上げてくるので、普段人に褒められることのない自分としては逆に心地悪くなってしまい、つい半分本気半分冗談とも言える本音を吐露してしまいました。

「いや、コロナで仕事が減って1年半の間大変だったし、今だって収入に波があるし、毎日悩み事が多くていいことなんて何もないよ。毎月末に確実に給料が振り込まれる会社員に戻りたいくらいですよ」

するとこの御姐さんは一呼吸置いて、一気呵成に私を諭しにかかりました。

「その考えはsalah(間違い)だよ。どんなに小さくても自分でビジネスをやれば自分がボス、ビジネスは最初は小さくても、少しずつ育てて大きくするもんだ、将来sukses besar(大成功)するかもしれないじゃないか」

この御姐さんがBakso屋を始める前の生い立ちまでは聞けませんでしたが、私がインドネシアに来た25年前は『屋台引き』から始めて成功した一代目の中華系インドネシア人と出会う機会が今よりも多かったように記憶しています。

まあ御姐さんと言っても間違いなく自分より一回り以上は年下だと思いますが、ここまで頭ごなし「間違っている」と否定され、「大成功するかも」とかポジティブに激励されてすがすがしい思いになったのですが、よくよく考えるとこれって自分がインドネシアに来る前に考えていたことそのものを、御姐さんから言われただけだったことに気づきました。

自分で創り出した仕事で食べていけるようになりたい、というのは新卒として日本で仕事をしていた頃からの私の根源的欲求であって、社会人経験を積む中で『こうやったらきっとうまくいくだろう』という考えが確立され、それを今のIT会社で検証している状況であって、その瞬間では悩みとか苦労を感じていたとしても、大きな文脈の中では苦労を苦労と思ったことはないかもしれません。

要はモノは考えようということであって、感情の揺らぎは理屈で上書きできるものだと思いました。