第86回 日本語勉強会
七十二侯では『桜始開』の最終日でした。
今年は寒いので開花が遅れているといいましたが、日本各地で開花のニュースがでていました。
逆に、週末からは暑くなるそうです。こういう時は体調に気をつけましょう。
開花と満開
桜の花の状況が天気予報のニュースに入るのは日本ぐらいでしょうか?
その際に「開花」と「満開」という言葉が使われます。
開花は、桜の花がつぼみから花びらが開いて咲き始めることを指します。
この時期、桜の花はまだ完全には開いていない状態ですが、美しい花びらが見えるようになります。
「開花」は指定された桜の木(標本木)において最初の花が5~6輪開いた時点を指し、地域ごとに「開花宣言」が行われます。
この標本木は、その地域の桜の開花を代表する木として全国で58本選ばれ、気象観測所や地方自治体が管理しています。
一方、満開は、桜の花が最も美しく、全ての花びらが開いている状態を指します。
だいたい開花から1週間後ぐらいが満開の時期だと言われています。
この時期には、桜の木が一面に花で覆われ、美しい景色が広がります。
満開の判定にも標本木が使われ、80%以上の花が咲いた時を「満開」としています。
というわけで、4月の1日に開花したとしたら満開は4月の2週目となり、みなさんが来る5月ごろには、山口県の桜はもう散りかけているかもしれません。
ソメイヨシノではない種類のさくらであればちょうど見ごろのものもあるかも知れませんので調べてみると良いでしょう。
描いた・描かれた
昔描かれた絵を表現する方法としていろいろな書き方ができますが、歴史的な価値があるような絵画の場合、文の主題は『絵』になります。
「(誰か)がその絵を描きました。」
という事実があった場合でも、主題が絵の場合は、
「その絵は(誰かによって)描かれました。」
のように書かれることが多いです。
描く(辞書形)⇒描かれる(受け身形)
例としては
「ゲルニカはピカソによって書かれました」
「ラスコーの壁画は紀元前15,000年頃に描かれたと思われます。」
などですね。
逆にそんなに重要ではない普通の絵の場合は、
「動物園でライオンの絵を描きました。」「そのマンガは私の弟が描きました。」
のように書く方が自然です。
これは「描く」だけではなく、「書く」「建てる」「作る」などの動詞でも同じようなことが言えると思います。
「描く」「描かれる」などでWeb検索をしてみていろいろな使用例を探してみましょう。
描かれた・描かれている
同じようにややこしいのが「ている」ですね。
とりあえず、「アスペクトですね」と言っとけば分かった風になります。
しかし、それだけでは理解ができているとは言えませんので、具体例を挙げながら少し詳しく説明してみましょう。
「ている」は、日本語の動詞が示す行動や状態が続いていることや完了したこと表します。
今も状態が続いていることを表す例
・今、朝ごはんを食べているところです。
・この本はとても面白くて、読んでいる最中です。
・私たちの犬は庭で日向ぼっこをしています。
完了しているのをあらわす例:
・今日の宿題はもう終わってるの。
・来週の会議の資料はもう提出しているよ。
・お前はもう死んでいる。
今回のニュースで沖縄県に帰ってきた絵は、「琉球王国時代に描かれた」もので、現在も残っていますので、
「二人の王が描かれた絵」(過去の受け身)
であり、
「二人の国王が描かれている絵」(過去に描かれ今もある)でありますので、どちらの文もOKですね。
「二人の王が描いている絵」
だと、主語(主題)が王になってしまうので、王様が絵を描いているように読めてしまいます。
また、
「(誰かが)二人の王を描いている絵」
という文も、完全に間違いではありませんが、
「lukisan yang menggambarkan seorang raja」を表現する文としては少しわかりにくいかもしれません。
これも、「描かれた」「描いた」「描かれている」「描かれていた」などの文を検索して、たくさんの例文を読んでみると良いでしょう。
黄砂って何?
この時期になると、中国の方から風に乗って黄砂が飛んできます。
私が子供の頃は、黄砂について「春に飛んでくる砂」ぐらいの認識でした。しかし、最近になって黄砂による被害がけっこうひどいということが分かってきたので、少し考え方が変っています。
そもそも黄砂とは、中国大陸の砂漠から春の強い風によって運ばれてくる砂や小さな粒のことを指します。
この黄砂は、日本を含む東アジアの広いエリアに影響をおよぼし、空気が黄色く濁る現象を引き起こします。
もともとは、自然現象の一つとして捉えられてきましたが、近年では、黄砂の中に入っている物質に問題があるということが注目されています。
黄砂が運んでくる砂や小さな粒には、砂や土だけでなく、工業地帯や都市部からでた悪い物質が含まれている場合もあります。粒の大きさが2.5マイクロメートル以下なので「PM2.5」と呼ばれています。
ここ数十年で、黄砂やPM2.5の被害は、健康へのリスクとして認識され始めています。
特に、呼吸器系の病気を持つ人や、小さな子供、高齢者などににとって、黄砂はただの「季節を感じるもの」ではなく、注意が必要な環境問題となっています。
さらに、黄砂は農業にも影響をがあります。
野菜に黄砂がつくと品質がさがりますし、太陽光が少なくなると光合成も減ってしまいます。
ソーラーパネルの上に降り積もると発電量が下がりますので、発電事業をしている会社の売り上げも大幅に下がってしまいますね。
外に止めていた車の上にも降りますので、上手に洗わないと傷がついてしまいます。新車を買った人は泣きます。
日本では、勉強会内で見た動画のように「100m先が見えないような状態」にはなることはないと思いますが、山口県や福岡県は比較的黄砂の被害が多い地域といえるかもしれません。
「たとえ○○でも」のあとの文は、、、
「もし○○だったらー」のような意味に見えますが、この表現は「もし、○○だったとしてもー」ですので、その後の文章は「○○だったら普通はこうするだろう」ということと逆の内容を書かないといけません。難しいですね。
正しい使用例:
「たとえ雨が降っても、私たちはピクニックに行きます。」- 雨が降るという条件下でも、ピクニックに行くという意志が示されています。
「たとえ試験に落ちても、もう一度チャレンジするつもりです。」- 試験に落ちるという状況であっても、再挑戦する意志を表しています。
「たとえ遠く離れていても、いつもあなたのことを思っています。」- 距離が遠いという状況であっても、相手を思う気持ちが変わらないことを示しています。
間違った使用例:
「たとえ雨が降っても、ピクニックに行けないかもしれません。」- 「たとえ○○でも」の後に続く文が条件によって変わる可能性のある結果を示してしまっているため、間違いです。
「たとえ試験に落ちても、勉強する気が失せました。」- この文は「たとえ○○でも」の形式を使いながらも、条件に反する結果ではなく、条件によって影響される心情を示しているため、この用法には適していません。
「たとえ遠く離れていても、連絡を取らないかもしれません。」- 条件にかかわらず行動する意志や結果ではなく、条件によって変わる可能性のある行動を述べているため、誤った使用例となります。
JLPT模試に備えて
実際の試験と同じような時間配分と雰囲気で試験を行わないといけませんが、どうしても「本番の試験通り」にならないこともあります。
「スマホやPCで問題文を読む」「マークシートではなくwebサイトへの答え入力」「スマホがあるので答えを検索出来てしまう。」などなどです。
できるだけ、自分できっちりルールを守るようにしてください。漢字については調べてしまうと簡単に正解できてしまいますからね。
また、時間については「マークシートへの記入時間」の代わりにWebへの入力時間があると考え、試験時間内にちゃんと入力を終えるようにしましょう。
時間配分に関しては過去記事を参考にしてください。
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