出来るから、出来ない。

 『出来ない』と言い切られてしまうと、させない。『分からんけど、やってみましょう』と言われると、やらせる。日本のサラリーマンの場合、『出来ません』と思い切り言い切ってしまう部下に任せる上司は居ない。『やってはみますけど、経験ないですけど、、、、』なんて応える部下に上司はさせる。

 勿論、経験ないことは最初から上手くはいかない。経験の有無を理由に『出来ない』と言うと、では何の経験もない新入社員は生涯何も出来ない人になる。ということで、未経験の事、誰もした事ないこともやってみた結果、出来ないこともできる様になった。そんなサラリーマン人生だった様に思います。

 が、ですよ、誰も経験したこと無い事をやり遂げたら、その後は、その新分野の専門家になれると良いのですが、サラリーマンは辛い物で、やり遂げると、また、違うことを仰せつかる。結局、色々な事を経験したので現在は管理職を仰せつかってるわけですが、振り返ると何れも専門家では無く、広く浅くになってしまってる。

 古典的分野でも、新規分野でも、その後に育った専門家がリピート案件を消化し続けて専門家になってます。まあ、そんな専門家を使いこなすのが管理職の役目では有るのですが、技術屋の端くれとしては非常に悔しいですね。

 結局、あの時『経験が無いのでできません』という意味不明な言い訳で回避した人が古典的分野の専門家になり。当たり前の事をリピートしただけで専門家気取り。後発で新規分野を継承した者も先人の資料を見て専門家になる。何時も新しいことしてきた者はゼネラリストという曖昧な褒め言葉で管理職となる。ゼネラリスト?言葉は良いけど万屋(ヨロズヤ)です。もっと言うと便利屋ですね。

 何でもなんとなく出来たが故に、気がつくと何も一流では無い。さて、技術屋の職人的精神としては幸せな結果なのかは大いに疑問。そこそこ何でも出来てしまった結果、何も一流の仕事は出来ない。まあ、そういう才能なんだよね(ーー;)きっと。

 ゼネラリストねぇ?管理職としては育てたい人材、必要な人材。特に最近は分業化進んだ弊害で求められる人材では有りますが、本人にとって幸せか否かは疑問。専門家さん、安住の地で大きな口叩いてるけど、然程大したことしてないよ。大半は井の中の蛙。そっか、井の中の蛙も不幸か?一段上の専門家になりたっかよね。と、思う今日この頃。

余談だけど、世界的な例えでは『出来ない』という日本人は信用してはいけない。『出来ます』という某国人は信用してはいけない。という例えも有りますが、某国人はどこだっけ?C? K?


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