クリープハイプの音をシャワーのように浴びる日常を一生続けたい
つけっぱなしのテレビから流れてきた曲に、キッチンでバタバタしていた私の耳が反応した。
え、この曲、すごくいい。え、誰の曲?
テレビの前に移動し、番組のエンドロールに目を凝らす。
見つけたのは「クリープハイプ、四季」という文字。
クリープハイプ!クリープハイプか!
こんな素敵な曲歌うのか。
ああ、出会ったかも。いや、出会った。
角を曲がった時にぶつかった人と恋に落ちるマンガみたいに、急にクリープハイプの音楽に出会った。
クリープハイプをもっと知りたい、聴きたい。
そこからはもうひたすら一直線。
一気にクリープハイプの鳴らす音の虜になり、ライブに行きたい、生の音を聴きたい、他の誰でもない「クリープハイプ」のライブに行きたい、その気持ちが日に日に大きくなる。
ザ・田舎な私の居住地にクリープハイプがやって来る可能性はかなり低い。待ってるだけじゃダメだ、自分から行動しなきゃと主要都市のライブへ行くように。
さらに深く深くクリープハイプの音の海へ潜っていく。
ライブに行くと、楽しいけど涙が出る。手を上げてたのにいつの間にか拝んでる。力入れて観てたのに心はふにゃふにゃになってる。自分が笑いたいのか泣きたいのかわからなくなる。
ライブ後の日記を読んでも「素晴らしかった。素敵だった。でも全部持って行かれて、今自分が何をしなくちゃならないのかよくわからない」と書いてある。
でも、そんなごちゃまぜの状態になっても行き着くのは、いつも必ず「クリープハイプの音を一生聴いていたい」という気持ち。
年中無休でファンのことを愛して、考えてくれることにも感謝している。
いつも与えてもらってばかりで、クリープハイプのために自分は何かできるのかなと考える。
音源を聴く。ライブに行く。全身で音を浴びて受け止める。記憶に留めて、事あるごとに思い出す。最高のバンドの奏でる、最高の音。同じ時代を生きていられることに感謝する。
結局自分が幸せな気持ちになるばかりで、クリープハイプに直接何かしてあげられるわけではないんだけど、それでもいつも、素敵な音を届けてくれることに本当に本当に感謝している。
ありがとう、クリープハイプ。
私と出会ってくれて。
特にコロナ禍は思い通りにいかない鬱屈とした日々を送っていたけれど、そこに少しずつ色をつけてくれたのがクリープハイプでした。
おかげで何とか乗り越えることができたし、日々感情に揺さぶられながらも生活できています。
一生クリープハイプが届けてくれる音楽を聴いていきたい。
一生です、一生。
当たり前なんてないかもしれないけど、でも、
普通の日々に、当たり前にそばにいてほしい。
#だからそれはクリープハイプ
#だからそれは真実
#クリープハイプ