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輪廻

行為(カルマ)自体が輪廻の種ではなく。行為の未消化が輪廻の種となる。
カルマが解ければ、消え、愛に化ける。
愛は全てを結ぶ力、縁であり、愛のない世界は成形しないし、世界があるところには必ず愛がある。

無我の境地に至らないと真の輪廻の相が理解できない。
輪廻は夢であるが、夢が覚めるまでは、輪廻がつづく。

夢の中では、我はあり続け、我と我を結ぶものを縁と呼ぶが、
しかし、実相は縁の結び目が我である

全ての縁が結ばれれば「空」となり、結ぶ力である「愛」だけが残る
よって輪廻する主体は消える

このことを悟るまでは「輪廻」の中にとどまり、夢を観続ける

真我は「零」を認識することはできない

「零」の具体の相が「世」であり

「零」の理の相が「空」であり
「零」の力の相が「愛」である


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