馬楽の時間 107

馬術部物語
 帯広へ戻った。空気が殺伐としていることに変わりはない。でも、何かが違う。あったかい腹巻をした感じとでも言うか安心感がある。ずっと下ばかり見ていたのが顔が上がった。景色が違って見える。学友が語りに来るがびくびくしない。わざわざ反論はしないが「俺だって」と言う自負がある。
 宗教の勉強を始めた。まず、宗教批判の原理があると知りビックリ。
 宗教はどれも同じで、他宗教を批判するべきじゃないと何となく思っていた。要するに考えたことがなかった。
 宗教批判の原理。宗教にも高低浅深があり、見極める原理があると言う。     その一つが「三証」。 文証、理証、現証。
 文証(もんしょう)文献があるか無いか。文章になっていないものは時と場合によって変わるので信用できない。
 理証。理論的にどうか。同じ原因から同じ結果が出るかどうか。因果の法に則らないものは信用できない。科学だ。
 現証。実際にやってみたらどうか。言っている結果が出るかどうか。結果が出ないものは信用できない。
「じゃあ、俺の馬術はどうだ?」と考えた。 文証はあるのか?文証無しでやみくもに走っても上手くはならないと思った。
「ヨシッ」。 合宿所にあった数冊の本の中から、ミューゼラー著「乗馬教本」に取り組むことにした。ご存じの通り難解。ドイツ語から英語に訳されたものの翻訳本。難解に決まっている。イラストが多い本にした。


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