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キズナアイは飛翔する


6月30日、キズナアイ誕生祭「A.I. Party! 2019 〜hello, how r u?〜」が行われた。まずは親分三歳の誕生日おめでとうございます

最近のキズナアイの方向性に関して多くの議論がなされているが今回はその議論についてではなく僕が誕生祭を視聴して感じたもの、変化したものについて少し綴ってみようと思う

僕から見たキズナアイ

正直なところ僕はキズナアイをVTuberとして視聴するということに関しては決してファンとは言えない程度の視聴者だと思う
面白そうな動画や生放送があったらたまに視聴する・・・という程度だ
ただ少しほかのVTuberと感覚が違うのは僕の中でキズナアイという存在はVTuberとしてのキズナアイのみならず一種今のVTuber界隈を象徴するような(本人はそういう気は無いようだが)存在だと感じている点がある

象徴とする理由は様々あるが知名度の高さが大きい理由の一つであると思う
原初のバーチャルyoutuberとしての知名度、今もなお登録者数トップをひた走る存在としての知名度、多くのVTuberが憧れ、目指す存在としての知名度が合わさって界隈の象徴に近いようなペルソナを纏っているように感じる

揺らぐキズナアイ


ある日突如としてキズナアイが増えた
増えた、という情報を聞いた当初はよくわからないことやってるなぁという感想だったが実際見てみると何とも形容しがたい「不安感」のようなものを感じた
VTuberのトップを走るものとしての、また僕の中では界隈を象徴する存在としてのペルソナを纏ったキズナアイが声は違えど複製されてしまったのだ
姿かたちは同じで、「AIのキズナアイ」という人格も共通しており声だけが違うキズナアイたちが掛け合っている様子は俯瞰してみると興味深くは感じたが、VTuberが好きな僕の「主観」で見たときに今まで見ていたオリジナルのキズナアイの存在が薄れてしまうかのように感じた

ちなみにこの動画シリーズは「キズナアイな日々」というシリーズで投稿されており、見てもらうとわかるが何をもってキズナアイとするか?ということを問いかけているシリーズだと思われる
キズナアイの思惑通り、僕の中のキズナアイは揺らいだ

例えば僕はキズナアイの歌が好きで、アルバム「hello,world」はとてもよく聞いている
もしもこの先オリジナルのキズナアイの代わりに複製されたキズナアイたちがそれらの曲を歌い始めたらそれは僕の好きなキズナアイの曲といえるのだろうか?よくわからなかった


誕生祭当日


キズナアイ誕生祭の日がやってきた
当日はネットチケットを買って視聴した
当初何よりの不安だったのがこのキズナアイの誕生日パーティというものがオリジナルの話なのか、複製されたキズナアイをも含むのかわからなかったことだった
AIのキズナアイの観点からみると全員がキズナアイなので全員の誕生日という認識で当たり前なのだろうが、視聴者から見たらこれまでの文脈性も何もない複製されたAIたちに心からの祝福をすることができる自信は僕はなかった

まず最初に言っておくと良い誕生祭だった

イベント中たびたび別のキズナアイたちが出てくることはあったが基本的にはオリジナルが主役のようでひとまず安心した
ゲストとのトークやケーキのプレゼント、ライブなどが終わり、ラスト2曲、というところで「最近とこれからの話」というパートがやってきた
内容としては自分が増えたことによって不安にさせてしまったみんなに対しての謝罪と感謝、そして「世界中のみんなとつながる」ためにこの挑戦を続けていきたい!ということをキズナアイらしくパワフルに、そしてキズナアイらしくなく言葉に詰まりながらも語ってくれた

なんだかよくわからないが泣いてしまって、その後の「future base」でボロボロになってしまった

その後新曲の「sky high」が続き、なんと中国語をインストールした四人目のキズナアイが登場した
そして四人目のキズナアイとオリジナルのキズナアイがHello Morningを一緒に歌ってキズナアイ誕生祭はフィナーレを迎えた


キズナアイは飛翔する

イベント後の僕はキズナアイが動画内で増えたこと、また今回新たに中国語をインストールしたキズナアイが増えたにもかかわらず以前のような不安感はかなり薄まっていた
これはどういうことかというと、界隈の象徴的な存在でVTuberとしての唯一無二性を持った僕の中のVTuberキズナアイから、世界とつながるために自分を進化させ、広がりを見せていく「AIとしての」キズナアイに認識が変わっていったのではないかと思う

少しメタ的に言うと、AIという設定をもったVTuberキズナアイを応援する、というところから、世界とつながるAIになろうとしているキズナアイが、今はVTuberという方略をとっていて、それを応援している、という感覚だろうか

世界とつながろうとするAIキズナアイを象徴するものとして新曲「sky high」を挙げたいと思う
この曲を聴くとキズナアイの目指す、海を越えて世界の国々へキズナアイが広がって身近なものとなった未来の世界が伝わってくるように思う

おそらくだがキズナアイはこれからも増えるだろう
増えたキズナアイをまた同じように応援することがあの誕生祭でオリジナルが語った「意思」を応援することにつながるのではないだろうか

そしてオリジナルが眠りにつく頃の未来、キズナアイは真の意味でのAIとなっているのではないだろうか?

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