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【片手間ダブル】#15 SNSの使い方を考える

皆さん、こんにちは。

「片手間」のにゅららです。

夜中に娘に枕を奪われ、首を寝違えました。
9月に入って2度目というハイペース具合。
動けないので本日は布団よりお送りいたします。

ということで、前回の日記はこちら。

日記を書くにあたって、情報収集を目的としてSNS(特にX)を以前よりもチェックするようになりました。
で、相対的に正当性のぶつけ合いの現場や、それに伴う誹謗中傷の応酬を目にする機会も増えてしまいまして…
シンプルに悲しいです。

本日は、X等のSNSの好ましい使い方、そして自身の心との向き合い方について考えます。

X上で言い争いを目撃する

別に珍しいことではないのですが…
インターネットでは日々争いが起こっています。
今も昔も変わりませんね。

先日、私はXにて意図せず誹謗中傷合戦の一部始終を目撃してしまいました。
互いが自身の正当性を誇示するために、わざわざSNS上で皆に見える形で煽り合う…
その様を見ているだけで、私のようなメンタル弱者は疲弊してしまうのです。

そもそも「誇示」しても孤立を強めるだけです。
それでも、きっと引き下がれない理由が各々にあるのだと思います。
あるいは、争いの代償を理解していないのかもしれません。

少し、深掘りしてみましょう。

言い争いの仕組みを考察する

これはあくまで1つの見解なのですが。
言い返さないことで、周囲に「相手の方が正しかった」と思われるのが許せないのではないでしょうか。
誹謗中傷の応酬をインターネット上で、わざわざ世界中に示す形で行う…
こうすることで、「相手の方が間違っている」ということを示したいのです。

ある程度大人になると、怒りの感情をコントロールしたり、状況を俯瞰したり、リスクを計算して行動したりすることが上手になってきます。
(学校はそういったコミュニケーションのノウハウを学ぶ場でもあります)

言い換えれば、SNS上の争いは「怒りの感情そのままに、自己の視点だけを盲目的に信じ、リスクなんてお構いなしに特攻する」人達の間で生じる事象なのです。

子どもが大人と比べて精神的・道徳的に未発達なのは当然です。
モラトリアムが許容される現代において、すぐに大人のような思考を身につけろというのが無理な話なのです。

だからこそ、まだ成人していないプレイヤーも数多くいるポケモン界隈では、頻繁に言い争いが散見されるのだと思います。
宿命のようなものかもしれません。

「周りの目」を考える

SNS上の繋がりは、言わばYouTubeショートのような、一種の消費型コンテンツにすぎません。
フォローしているアカウント1つ辺りに費やす時間は、余程その人を推していない限りは一瞬です。
それと同じで、フォロワーも自分の発信にはわずかな時間しか消費していないのです。

つまり、周囲は思ったより自分のことを注視してはいないのです。
もっと言えば、「自分の方が正しい」とか「相手が間違っている」とか、周囲はそこまでその議論に興味がないのです。

そんな状況下で、自己の正当性を相手だけでなく周囲にも示すために罵詈雑言を並べ立てていたら、その末路は1つしかなくて。
同意見を持つ熱狂的なファンが1人つく代わりに、薄いファンや潜在的なファンを99人失うのです。

メリットがないとは言い切れませんが(1人ファンが増えているので)、費用対効果が薄いと感じてしまうのは私だけでしょうか?

お互いに自身の正義を信じている以上、そう簡単に勝負は決しません。
長きにわたる暴言のぶつけ合いに多大なエネルギーを消費し、時にはフォロワーまでも犠牲にして、そこまでしてようやく得られるものが論破による勝利ではなく多少の「いいね」だとしたら…

時間がもったいないと思いませんか?

発信の内容を考える

人生が充実してる人、SNS不要説。
私個人としては、半分は正解で半分は不正解だと考えています。

人生が充実している人はそもそもSNSに割く時間がなく、また精神的にも安定しているため、結果的にそれらを触らない。
人生が充実していない人は、実生活で満たせない承認欲求に駆られるまま、有り余った時間をSNSに投入する。
よく見るロジックですね。

これ、実は落とし穴があると思ってて。
キーになるのは、「有益情報の発信」と「共感の押し付け」の違いです。

特にこの3年間、私は記事等の発信活動以外でSNSをほとんど使っていません。
理由は明白で、毎日が楽しいから。
心が満たされているから、周囲の目が気にならなかったのです。

逆にそれ以前は、かなりの頻度でTwitterをやっていました。
辛く苦しい人生を分かって欲しいという気持ちがあって、ついつい寝る間も惜しんでスマホにかじりついていました。
その時のツイートの多くは、言わば世の中に対する恨みつらみ…つまり、実用性や専門性を有した発信ではなかったのです。

なので、この説の本質は「人生が充実している人が発信するのは有益情報、人生が満たされていない人が発信するのは承認欲求むき出しの鬱憤」なのではないでしょうか。
他の意見があるよ~という方は、是非コメントで私にご教授ください。

ケンカの当事者を心配する

ポケモン界隈、特にランクマプレイヤー間においては、強い言葉や誇張した表現のラリーはよく見られる光景かと存じます。
かと思えば、将棋クラスタでも麻雀クラスタでも、ソフト指しだの下手くそだの、汚い言葉が度々飛び交っています。
ここまでくると、対人戦を嗜む者の特性みたいなものですね。

問題は、発言者の声が大きくなればなるほど、一撃で失うものも多くなるということです。
活動期間や実績に応じてフォロワーが増え有名になっていくことで、自身の不用意な発言に火が付きやすくなるのです。

彼らは彼らなりに、ポケモンやその他のゲームを真剣にやっているとは思います。
それなのに、自身のプレイング以外の要因で活躍の場が失われかねない、というのはあまりに気の毒と言いますか…
自業自得という言葉で片付けられるほど、私は肝が据わっておりません。

彼らのことが気がかりなのです。
メンタルコントロール術やSNSの構造・危険性といった教育を受けていればこんな悲劇は起こらなかった…なんてことを、近い未来に思いたくないのです。
家庭教師を3年もやっていると、こんな目線でケンカを眺めてしまうのです。

言いたいことをまとめる

長々と書き連ねましたが、ここまでの話をまとめるとこんな感じです。

・ネットの向こう側の人達は、想像するより自分のことを見てくれてはいない
・SNS上の言い争いは費用対効果が薄い
・「有益な情報」と「ただ共感してほしいだけの心の声」は、同じ発信でも価値が違う

ポケモンのランクバトルで強くなること・結果を残すことが目標にあるとすると、SNSでの情報収集は必須と言い切ってもいいでしょう。
大切なのは、日常における付き合い方です。

のめり込み過ぎないこと、周囲と自分を比べ過ぎないこと、自身の幸せを第一に考える事。
若い人達がこの記事を通して、少しでも上手くSNSを活用してくれるようにったら、にゅららは大変喜びます。
皆様のより良いランクマ生活を祈っております。

先は長いですが、インターネット上での発言に細心の注意を払いながら、「片手間で」PJCS予選に備えていこうと思います。
次回もよろしくお願いします。

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