汝はハッピーエンドなりや?

先ほど思いつきで書いた記事で、ふとあることを思い出したのでついでに書いておく。これも何度も唱えている感想だが、共感されることは割と稀である。

何となく友人とぶらぶら歩いていて、ふと映画でも見てえな~という話になった。ちょうどやっていた映画に興味のあるものは無かったのだが、ディズニー映画にハズレは無いだろうと思い、当時上映していた「シンデレラ(実写版,2015)」を見たのであった。

あんまり実写版を見ない理由として、現実っぽすぎる、特段苦しい場面に感情移入し過ぎてしまう、というのがある。

(リンク2回目) 何せアニメーションの映画を見た後にアニメーションになってしまうバカなのだ。変なところで没入感を発揮してしまうのは長所なのか短所なのか…。

それはさておき、シンデレラはどうだったかというと、正直言って地獄だった。初めは幸福だったシンデレラが両親の死を境に意地悪な継母や娘に悩まされ、舞踏会やガラスの靴やなんやかんやあって、最終的には王子様と結婚するというまあ誰でも知っているストーリー、だが。

まず初めが幸福すぎる。視聴者に「絶望」を印象づけたいならその前の幸福な状態を事細かに示して落差を見せるといい、とはよくいったもので、実際に私は絶望した。その描写要った?

次に、意地悪なシーンが割と長いし、描写が細かい。自分の中に封じ込めた学生時代のパンドラの箱が開きそうになった。それは体験談なので個人差はあるだろうが、あれを楽しんで見られる人っているのだろうか。

もちろん最後は王子様と結婚もするし、手のひらクルーな継母に対して最後はちゃんと言い返す訳だし(あんまり覚えてないけどそんな感じだった気がする。記憶違いだったら申し訳ない)、流れは知っての通りで、事前知識があったので即死は免れた。

ここまではまだいい。シンデレラは名作だ。しかしこれを世が何と言ってるかご存知だろうか。

ハッピーエンド


一応ここで断っておくが、私はハピエン厨だ。けれどそれはハッピーエンドしか認めない訳ではなく、バッドエンドもメリバも死もあってもいいしそれはそれで美味しいけど、私はハッピーエンドをダンチで好むぞ、という意味のハピエン厨だ。そして厄介なことに、物語の苦節とハッピーエンド具合が釣り合っていないと、心がもやもやしてしまうタイプのハピエン厨だ。

ゆえにこの「ハッピーエンド」はちょっと待ってくれと言わざるをえない。

終わりよければすべてよし、という言葉があるが、果たして終わりがハッピーなら全てハッピーエンドであろうか。確かにエンドはハッピーであるが、道中の苦難と天秤が釣り合って無くないか。私が「ハッピーエンド」以外に事前知識のない人間なら泡を吹いて倒れていた。いや、これは物語なので、起承転結が必要で、物語を円滑に、面白く進めるためには母の死も父の死も意地悪も必要だったわけだが、もしシンデレラが物語でなければ、そのまま平和に暮らせたのではないかと思ってしまうのだ。

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突然雑なグラフを見せてしまって申し訳ない(思いつきで書き始めたので急遽指で用意した)。シンデレラのあらすじに沿って、個人的な感覚で「幸福度」と「経過時間」の折れ線グラフを作った。…これってハッピーエンドだろうか?

ただこれ、大事なのは「個人的な感覚で」というところにある。実際のところエンドがハッピーであればハッピーエンドなわけだし、魔法や舞踏会や王子様の結婚に憧れている人間からすればその場面で幸福度が800%くらいあがるかもしれないし、冒頭の幸福度より最後の幸福度が上回っている人間の方が多いと思う。あと最初の方に述べた通り、私は特別苦しい場面に共感してしまう節があるので、幸福度の下がり具合ばっかり印象に残ってしまうのも問題だ。結局のところ、シンデレラってハッピーエンドなんだよな。

色々書いたが世のハピエン厨が皆こういうわけじゃないことを一応添えておく。終わりよければ全てよし派もいれば、バッドエンドはおろかメリバも許さないような過激派もいる。あと、メリバはハッピーエンドだろ派もいる。ハッピーエンドって難しい。

戯言なので、同情も批判も要らないが、おんなじこと考えてたわ~っていう人がいれば、一緒にニヤニヤしてほしいと思う。

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