主役と脇役

今更ですが新年あけましておめでとうございます。年末年始はいかがお過ごしだったでしょうか。私は学生らしくほぼバイトで挙句体調を崩して強制的に寝正月を過ごしておりました。またなんとか卒業試験も乗り越えたので卒業出来ます、多分。

新年は初詣は行きましたか?私は近所の神社に行き、家族の健康を願いおみくじを引きました。
神社に初詣へ行くと大体のところは男女の厄年の年齢についての表が貼ってあるかと思います。厄年を気にしない人は気にしないと思いますが、気にする人はかなり気にするんじゃないでしょうか。私は厄年をとても気にするし、厄年だった年齢の時は年始だけではありましたがとても不安でした。今回はそんな厄年について目から鱗が落ちた話です。

 私は高校3年、18歳の年が厄年だったのですが今思い出すとかなり精神的に辛かったなと思います。一番辛かった時期は、ストレスで全身蕁麻疹、軽度の睡眠障害、挙句自殺を考えて駅のホームで小一時間立ち尽くしていました。
 こんな感じで厄年は皆何かしらの辛いことや悲しいことが起きるのだと私は思いこんでいました。実際に私は上記のような出来事があったのでなおさらでした。しかし今年厄年の姉と話してその考えが変わりました。姉曰く厄年とは「自分が主役の年ではない」ということらしいのです。姉が今年厄年だということを私は知っていたので、年明けに会った際に今年厄年らしいよ、話を振りました。そこで彼女が言ったことは目から鱗でした。
 上記でも話したように「自分が主役の年ではない」と話し、加えて「私は最強の脇役になりたい」と言っていました。元々明るい性格の彼女が厄年なんて不確定要素の強いものを気にするはずがないとは思っていましたが、厄年を意識していたことにも驚いたし「最強の脇役」という言葉だけでは何もわかりませんでした。彼女はどちらかと言えば少年漫画の主人公のようにどこにいても輪の中心で人望が厚く、脇役よりも主役という言葉がぴったりな人間でした。だからこそ脇役、という言葉に疑問を持ちました。しかしそれはその後に続いた説明で納得しました。
 彼女が人望厚く人に恵まれているのは人が喜ぶことがしたいという本人の性格が主な要因なのですが、それが関係していました。彼女の言う「最強の脇役」とは誰かを主役にするための脇役、縁の下の力持ちになるということでした。彼女の思う厄年とは自分が主役の年ではない、ということらしいのです。私は彼女とは逆でリーダーになりたい、主役になりたいと思ってもなれない(なりにくい)立場にいることが多いので、厄年の時こそ「負けてたまるか!」と張り切って空回りしていた覚えがありその言葉に本当に言葉を失いました。彼女は自分を最強にするのではなく、誰かを最強にするための、最強の助っ人になるつもりでした。
 

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