生きることと死ぬこと

夜に書いてるのでこんばんは。

コロナ禍と言われる状況が2年目に突入し、元々インドアな人間なこともありあまり支障は出ないと思っていたけれど、それでも多少なりとも影響は受けているようで、去年の5月人生で2度目の自殺を図った。もちろん実行できずに今もピンピンしてますけれども今でも薄ぼんやりとした希死念慮が私から離れない。電車に飛びこもうとした時の冷や汗と、ジットリとした暑さの中包丁の先が背中に刺さったチクリとした痛みの感覚どちらも覚えている。明確に死にたいから死のうとしたのは高校3年の夏と大学2年の5月の2回だけど希死念慮はずっとあった。それでも生きてられたのは死ぬことよりも生きることの方が楽だったからだと思う。
大学生になった今でも毎日毎日ちょっとした事で落ち込んでは「こんな私なんか死んだ方が良いな」と思うけど私は一向に死のうとしない。なぜ私は死にたいのに死なないのか、それは死んだ後は何も無いかもしれないけど「死ぬ」までの過程が辛いからだ。極端な話、何もせずずっと寝ていれば餓死か急な身体的支障、老衰のどれかでしか死なない。私たちは意識して生きていない。それはそれは楽なことだと思った。「死ぬ」ためには私が意志を持って自分を殺さなければならない。意志を持って行動することはとてつもない体力を使う、ましてや自分を殺すなら。だから死ぬことの方が生きることよりよっぽど辛いし、死ぬことの方が楽に思えるくらい辛いことが起きないと人は死なない。まだ私は生きることの方が楽だしわざわざ辛いことを選びたくない怠惰な人間なのでしばらくは死ななそうだ。

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