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雑記 恋

恋、ということばを聞いて、どんなイメージを浮かべるだろうか。相手のことを想うと何も手がつかず、寝る間も惜しんで相手のことを考えて睡眠不足になってしまうような盲目的な感情のことを多くの人はイメージするのではないだろうか。所謂少女漫画でよく描かれるアレである。

私の思う「恋」はこれと少し違っていることに最近気がついた。私には恋人のことを想う余り、夜が更けてしまって睡眠時間を削ってしまったという経験もないし、恋人とのデートを待ち侘びて仕事や勉強に手がつかなかったと言う経験もない。けれど、私にとっての彼への感情は紛れもない「恋」なのである。どうやら世間の定義とは少し異なっているようだ。どうにか言語化できないかと、少し考えてみることにした。

結果、簡潔に言うと私は「心のときめき」を感じることを「恋」と形容しているらしい。だから、彼と手を繋いだ時はもちろん、大好きな推しの新しい供給があった時や可愛い素敵な服に出会った時も、私は「恋」に落ちた、と思う。(実際に開いているかは分からないが)瞳孔が開き、心臓が跳ね、胸の奥がきゅっとするあの感覚が、私の思う「恋」のようだ。

長らく言語化できずにいたが、どうやらそういうことらしい。
学生時代に同性の友人達と語らう「恋」の話に少しズレを感じていたのは、根底の感覚が違うからだったのかもしれない。

恋人との記念日の話題になった時、私の恋人は覚えてないよと友人に話したら、「それって本当に恋人なのかな?」と疑われたことがある。私の感覚では「一緒にいて心のときめきを感じる」のが恋であるから、記念日の記憶の有無なんて心底どうでも良いのだ。それが恋かどうかを計るものさしにはならない。忘れているなら言えばいいだけだし、男性は日付を覚えるのが苦手なんだよと反論したら苦笑された。

私の好きなアーティストのひとりに星野源という人がいる。彼の作った曲のひとつに「恋」というタイトルのものがある。ドラマの主題歌に選ばれているから、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。
その歌詞は、夫婦の当たり前の日常の中にある特別を大切にしよう、という印象を与える。この、日常の中に潜む特別感へのときめきこそが「恋」なのではないだろうか、と私は解釈する。何となくだが、私の「恋」に近しさを感じる。

言葉は流動的なものである。世間や世代、生活に合わせていくらでも意味を変えていく。平安時代のお貴族様の思う「恋」と現代人の我々の思う「恋」が違うように、同じ時代でもいくつかの定義が存在していても良いのではないか、と思う。

とりとめもない雑記だが、このくらいの方が気楽でいい。

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