寄せの本筋【スーパービンゴ】
何がミスやもわからぬままに
ビンゴを打ち始めてからというもの、打牌に悩むことが増えた。別に「僕は麻雀の達人で何ならNAGAの化身だから普段の打牌に迷うことなんてないんですよ」なんて話ではない。ただ、微差っぽい選択は結局好みなのでそんなに真剣に悩むこともないというだけだ。麻雀ライターの大家福地誠は自身のブログで『A級ミス』という概念を提案し、また繰り返しこう書いている。
この中でA級ミスは「振込に直結するミス」として定義されている。これは当時の福地誠の打っていた環境とルールによる実感だろうかと思う。例えばこれが所謂ネオ歌舞伎町系のルールであるならばA級ミスに分類されるのは例えば「大きく祝儀期待のできる局の和了率が下がるミス」だろう。福地が言わんとするのは「ゲーム中の『気合いの入れ所』さえ掴んでいれば後はみんなミスったりミスらなかったりなんだから大丈夫よね」という話だ。「初耳だけどふくちんこにしては良い事言うじゃん」と思ったならば、以下のnote記事から全文が読める。
また、ミス云々の前にフォームというか、正しい型のような物を意識する事も多い。フリー麻雀を打つ上の基準の中の一つにあるのが「迷ったら立直」という考え方だ。ある程度トップ比重と祝儀比率とが高い麻雀では分散とツモ和了率を大きくすることがそのまま利得に繋がるので、曲げずに得する局面よりも曲げて得する局面の方が遥かに多いというごくシンプルなコンセプトである。ぱちんこに初めて等価ボーダーという概念を持ち込んだギャンブルライターの山崎一夫氏はこれを「棒テン即リー全ツッパ」として世間に紹介した。
という訳で、手癖だけでそつのない麻雀を打つのはそんなに難しいことではない。勘所を弁えて明朗な指針を持ちさえすれば、僕たちは日々それをなぞるだけで安心して運比べに興じることができる。
ただ、これが殊スーパービンゴとなると話が変わってくる。そもそも何がミスなのか判然としないのだから始末に困る。結果論からの脱却が麻雀を上達していくための必須事項であるのは皆さんもご存じだろう。ただしこれは己の選択への確固たる信頼があってこそだ。今日勝ったのはただツいていただけかもしれないし、或いは正しい選択をしたのかもしれないし、正しい選択をした上にツいていたのかもしれない。ビンゴ即ち日々是勉強である。
僕たちは卓上で毎日「何が正しいのか」を掴み取ろうと足掻くことに精一杯だ。何がミスかもわからず眼前の牌に右往左往し、愚かにもひたすらに思い悩む。そんな中ではA級もB級もクソもないのだ。では、人が必死のパッチで取り組むその姿を少し覗いてみよう。繰り返すがこれは並行世界NIPPONの話である。野暮はなしでお願いしたい。
卓を前にしてじっと腕組み
オフィス街の一角にある築30年は有に経とうかという古めかしい雑居ビル。その暗い階段を上って2階にその雀荘はある。更に登って3階には「*犬・猫はいません」と看板に但し書きされたアニマルカフェが居を構えている。どちらもアニマルを扱っているので似た様な業態であるとも言える。なんならドアに「*まともな人はいません」と張り紙がしてあってもさほど不自然ではない。そんな昼か夜かもわからぬ極夜の如き密室に大人三人が肩を寄せて寄り集まっている。さてその中で僕といえば、石ころが並んだその前でじっと息を殺して思考を巡らせていた。
手牌を何度見返してそうとも、⑨を手の内に入れてみてもこの形をしている。既にまあまあの長考だ。三秒は経っただろうか。ふと見渡せば下家の常連客サイコドクターは当然の権利として先ヅモした牌を手の内に入れて吟味しているし、上家のメンバーいけちゃんは多動を持て余して肩をウネウネ動かしている。2昼夜卓を囲んだこともある、どちらも親の顔より見た面子である。お待たせして恐縮だな、という気構えはそれですっと失せた。
ではまだじっくりと考えることとしよう。さて、触れない形があまりに多すぎる。⑧⑨8s9sはどちらも7受け、2s4sと外すと継続率が大きく下がり、①①③⑤⑤を触ると最終形の愚形率がぐっと上がる。
悩みに悩んで八秒余り、僕は9sを切った。チチチパクとはいえ純粋なペンチャンと比較すれば受けは3枚減り。消去法でこれしか選びきれなかったとも言える。いけちゃんは「そんなに悩んできゅーっ!?」と朗らかに煽り、しかし目がちらりと光るのが分かる。7回りの牌での長考は変化待ちダマの可能性すらある危険な徴だ。ところがどっこい、今回ばかりは2シャンテンだ。すまないないけちゃん。
次巡、ツモ4sでそのままペンチャンを落とす。すると更に次巡。あろうことか2sを縦重ねてしまった。
思考能力がガチモンのパンクである。4枚使い七対子のシャンテンに行きついてしまった。再び腕組みをする。直近の候補手は③⑧⑨しか残っていない。選びあぐねて指の反復運動をしていると、ドクターはその巨体を存分に生かしてフルマックスの貧乏ゆすりを始動する。いや、さすがに無理だ。どうやっても⑦の受けは消せない。③を切った。
光の速さで裏目を引く。ポジティブに考えれば7待ち確定七対子のシャンテンに発展したがもう間合う訳もない。ドクターが高らかに立直を宣言する。ほどなくして適当に7をツモ和了し、ぺらぺらと何トンか山を掘り返すや🌷が乗らない事に悪態をついて牌を流した。僕は日常的動作を完了する様を至近距離で拝謁すると見学料としてチップをカツアゲされた。こうして僕はむざむざと親ホームランの権利を失うハメになった訳だ。
後ろ見でベガ立ち
いつでも絶好調のドクターがオーラスに30枚は60枚オールをツモって数え上げているくらいのタイミングで常連客のCちゃんが来店する。いつもスーツ姿の彼は結構きちんとしたサラリーマンなので夜の部の客である。昼の部の僕は「そろそろ時間なんで」と席を立ってCちゃんに譲ると暫しの間後ろ見を楽しむこととした。場末の当然の権利として、見知った客の後ろ見はノータイムOKだ。
さて、僕の後釜のCちゃんが東初の親番でまず軽快に6000オールをツモ和了る。なんで席をどいちまったんだクソがと心中穏やかではないがそのまま笑顔で眺める。すると1本場、こんな手格好から1sを引いてきた。
何を選ぶのだろうか。ツモ切ってもそこまで悪くはない。さて…と興味深く見ているとCちゃんは少考して④を切り出した。つまり、こういう形になる。
「流石にこれは」と口走りかけてなんとか耐えた。いくらなんぼなんでもの切りである。このリャンシャンテン戻しは一般的な麻雀なら相当良い手筋だろうが、ビンゴでは限りなく0点に近い。おそらくは僕のここまでの酷評に首をかしげる方も多いだろう。索子一色手の目が残りながら良形も取れる打④。しかし繰り返すがこれはスーパービンゴだ。Cちゃんはこの直後に3sを引いて2s切り。そして5sを引き入れた。
Cちゃんは「うわー、ちょっと、ちょっとまってください」と文字通り頭を抱える。悩み悩んだ末に8s切りの役無しダマに構えた。まあ、そうなるだろうな。そこですかさず肩の暖まりきったサイコドクターが声も高らかに立直発声を始める。
「お♪まぁ♪た♪せしました、すぅ・ご・い・やつぅ~♪」
改めてお伝えするまでもないだろうが、ここは名古屋きっての場末である。手が出て喧嘩になるまで何でもありだ。ウキウキのドクターを尻目に、Cちゃんが一手遅れて喉から手が出る程欲しかった7sを引き入れる。
「うわっ、しかたないな、まいったな」とひとしきり愚痴るとCちゃんは果敢に2s切り立直を選択する。6凸が残る(*)のでごく当然である。
*6凸が残る:突確に入る牌を指す表現。頻出は7凸。
「ロンホイホイホイィ、イッパーッーーー」
「うわー、④切り立直だったかー」とCちゃんが愚にもつかない後悔をし、ドクターはご機嫌のままにペラペラと山を捲り、そして局が終わった。
ベガ立ちで後ろ見しながら、Cちゃんの放銃はもはや必然だろうと受け入れていた。ビンゴの中でも初歩の初歩のセオリーを無視するならば、そこに報いはあるべきだ。そしてやはり、ふと、僕は気づいた。もしかしたら僕も、さっきビンゴの基本を無視してしまったのかもしれないなぁと。
掴み取った何かと寄せの本質
ここで、Cちゃんの牌姿に立ち返ってみよう。
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