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Laghing Note〜お笑い手帖回顧録 寄り道②

 先日、日曜の昼下がり、ふとTVをつけると、立川談志さんの亡くなる前の闘病記録ドキュメントが放送されていて、思い出した。
 談志師匠とは、一度だけ言葉を交わしたことがある。と言っても、もう30年以上前。
ラジオ寄席の司会担当だった僕は、TBSホールでの公開収録の日、楽屋にご挨拶に行った時の事だ。
「初めまして、司会を務めます、アナウンサーの浦口と申します。よろしくお願いします。」
なんのことはない、普通の挨拶だ。
すると師匠は、僕を上から下までスッとスキャンするみたいに一瞥してから、
「あー、アナウンサーかぁ。アナウンサーってのは、バカばっかりだからなぁ、鈴木治彦、山本文朗、大沢悠里、みんななぁ...」
えー!いきなり
僕の大先輩にあたる方々を悉くバカ呼ばわり。
相槌を打てるはずもなく、かと言って反論するのもできない。しばらく沈黙していると、師匠は「ま、頑張んな!」と言いニカッと笑った。
本来は、挨拶してから
司会で高座に上がる前に紹介する際のコメントとして、近況などを伺うはずだったのだが、僕はそのまま、お辞儀をして楽屋を出た。
なんであんなことを言うんだろう?
と 不可解でモヤモヤしたままであった。
次にお会いした時に、もう少し話して探ってみよう。と考えていた。翌年 師匠のラジオ寄席出演が予定されていた。
ところが、師匠は当日 時間になっても師匠は現れない。公開収録は進んでいる。
後で編集するから、と、現場では香盤を変えて、収録を進めるが、まだ来ない。
結局、僕はその場を繋ぐのに、40分位フリートークタワで繋いだが、もうネタ切れ。見かねたあした順子ひろし師匠が、出番は終わって帰る所だったのに、ネタをやって繋いでくれた。しかし、結局 来なかった。お客さんは談志さんなら、た笑って許してくれたが、放送が控えているプロデューサーは激怒。師匠を出入り禁止にしてしまい、それ以来、師匠と直接お会いすることはなかった。
 ちなみに師匠のお嬢さんは一時、六本木でクラブママをやっていて、懇意にしているプロデューサーに連れて行ってもらい、その後何度か飲みに行った事はあったが、そこで師匠の話をした事もなかった。
 しばらく師匠との件は、記憶の奥にしまわれていた。
 そして、
談志師匠が亡くなられた時、
初対面の時の
あの「アナウンサーはバカばかり」の言葉の真意を改めて考えてみた。
師匠の思いはこうだったのではないか?
「君はまだ若手で未熟なんだろう。僕の前でも緊張したいるようだ。君の局の先輩で演芸に詳しいアナウンサーはよく知っている。でも、場数を踏めば、いずれ上手くなる。最初はみんなバカだ。若い時はバカだ。だから先輩に臆する事なく、君も頑張りなさい。」と言う意図だったのだと、思った。
多分、これはそんなに外れていないと思う。
あの短い言葉に、そんな真意があったと思うとやはり偉大な人だったと改めて思う。
 そして、結局来なかった日。必死に自分なりの漫談で40分繋いだ経験は、その後のしゃべりの自信になったので、結果的には師匠に頑張る機会を与えてもらったようなものだ。
しかし、
あの言葉の真意の答え合わせと謝意を伝える機会は失ってしまった。

ドキュメンタリーを目にして、そんな事を思い返した、ある休日の話。


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