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私は月に3日間は必ず倒れている。

今、あるプロジェクトで中学生の女の子と定期的にMTをしている。
この前、「尾崎さんのようにいつも元気な人には言っても分かってもらえないかもしれないのですが、、、生理痛がとっても辛くて今日はお話しできません。本当にごめんなさい」と連絡が入った。

ショックだった。
私も中学のころから生理痛がきつくて、苦しんできたのに。
なんなら、今も月に3日間はずっと倒れ込んでいるのに。
私がいつも元気そうにしていることによって、私に言い出すのに勇気を必要とさせてしまった。

今日3月8日は国際女性デーで「女性の生き方を考える日」だから、少しだけ私が生理痛とともに生きてきた日々について書きたいと思う。

生理痛で休むと「ずるい」という雰囲気があった。

中学も高校も私は生理痛がひどかった。
腹痛がして、イライラして、学校に行くのもやっとの日があった。
しかし、保健室には行かなかった。
なぜなら、行った子達は「ずるい」と陰で言われたからだ。
言っていたのは、同級生の女の子たちだ。
「嫌な体育の時だけ休んで、ずるい」と。
体育を休むのは当然だ。動くことすらままならないから。
彼女たちは生理痛がそんなにひどくなかったんだろう。
「私達は同じ女子なのに平気だよ。大げさだよね」と笑っていた。

保健室に行く子たちに対してコソコソと言われる陰口を聞いて、当時の私は黙っていた。自分も生理痛でつらいことを知られたくなかった。
なぜなら、私は「男子」と戦っていたからだ。
野球も応援団も生徒会も「女子だって男子に勝てる!」と学ランを来て立っていたのだ。「生理痛で休む」というのは男子に対しての敗北だと感じていた。
あの頃の私は「男子と同じ土俵で勝つ」ことをしない限り、認められないと思っていた。だから、あたかも男子のように振る舞う必要があると思い込んでいた。

受験前、産婦人科でピルをもらうおうと母は言ってくれたが、、、

毎月痛む私に母は薬を勧めてくれた。
しかし、ただでさえ成長期で眠いのに、薬はさらに私を眠くした。
結局、先生から「寝ずに真面目に授業を受けろ」と怒られてしまい、飲んだふりをして学校に行っていた。
しかし、受験だけはどうしても失敗したくなかった。
ものすごく頑張って勉強したのだ。腹痛にも眠気にも悩まされたくなかった。
「産婦人科に行ってピルをもらって日をずらそう」と母が提案してくれた。

しかし、中学生の私には産婦人科に行くことが怖くて仕方なかった。
誰かに見られたらどうするのか?
妊娠したと思われるのではないか?
ピルを飲んでいるなんて、知られたら何って言われるか分からない。。

結局、頑なに私は産婦人科に行かず、ただ生理の日が受験とズレることを祈り続けた。

大学生になってからは、毎月3日間だけは授業をさぼり、ひたすら布団の中にいた。とても至福だった。

社会人になってからは、結果に左右された。

会社には生理休暇というものがある。
しかし、中学生の時と同じ感覚を覚えた。
誰にもずるいと言われないが、自分の中に罪悪感があった。
結果を出している時は申請しやすい。
しかし、結果を出していない時は言い出しにくかった。
仮に取得したとしても、1日では終わらない。
3日は布団に閉じこもりたかった。

月に3日も閉じこもるなんて会社員としては失格だと私自身思っていたし、きちんと結果を出して認められたかったので、薬を常に持ち歩いて乗り越えていた。

化粧をする気も起きないし、暑い夏の日でも黒いズボンやストッキングを何重にも履いておかないと落ち着かない。長い研修だと、いつトイレに行けるか分からないので、ビクビクしていた。

経営者になって初めて、自分のサイクルで生活ができるようになった。

自営業になり、自分でスケジュールをコントロールできるようになり、初めて毎月快適な生活を送ることができた。

その3日間は極力、講演会や大きな提案を入れない。
それだけでも、精神的にとても楽になった。

3日間はずっとコタツや暖房に腰を当て続けて、PCを目の前に置いて、ボーっとしている。

さらにテレワークになって、その3日間も仕事ができるようになった。

テレワークが進み、オンラインでの会議が増えたことは私にとってさらに理想的な生活になった。腰に暖房を当てながら、リラックスした格好で、会議直前に布団から立ち上がる。フィルターが勝手に化粧をしてくれるので、ホルモンバランスが崩れたすっぴんの顔を出しても怖くない。

私は中学時代から続いた「苦しみの3日間」を克服する環境をようやく手に入れたのだ。

大人になるまで「苦しみの3日間」から解放されないなんて辛すぎる

私は解放されるまでに、約23年かかった。
子どもの時の方が苦しかった。
決められた時間割があり、決められたテスト日があり、決められたルールがあった。みんなが当たり前に守っている「決められたこと」に対して「苦しい」「痛い」「つらい」ということがどれだけ勇気がいることか。

「ずるい」「さぼり」だと思われることが、どれだけ恐怖なことか。

生理痛だけではない。
花粉症もそうかもしれないし。アレルギーもそうかもしれない。
低気圧で天候に左右される人もいるかもしれない。
夏の暑さに耐えるのが苦しい人もいるかもしれない。
特定の場所に違和感を感じて体調が悪くなる人もいるかもしれない。

大人になれば、自分の体調を言葉にでき、同じ辛さの人と共有しあい、自分のリズムにあった生活を選んで行けるようになる。(もちろん、状況によってできない場合も多々あるが、、)

誰かの「苦しい日々」が大人になるまで解放されないなんて辛すぎる。

だから、私は私の「苦しい日々」を今日ここに語った。
「苦しい日々」はできれば隠したい。
でも、隠したら結局何も変えられないから。私が変えられることなんて本当に微々たるものだし、こんなことを書いたところで何も影響力はないかもしれないけど。
今、苦しさを語れるようになった大人たちが「私だってそうだよ」と言うことで、子どもたちが言い出せない「苦しさ」が少しでも解放されたら嬉しい。

大人もこどもも、みんな学び方や働き方や生き方が選べる世の中になるべきだし、オンラインという選択肢を誰だって選べるようにしたい。

女性の生き方を考える日はみんなの生き方を考える日でもある。



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