手島写真

3年かけて母がたどり着いた答え。平均年齢79歳、人口19人の手島(瀬戸内海の島)活性化の鍵は“ユンボ”だった。

EUの大統領に会って「すごいお母さん」として話題になった母は3年前から瀬戸内海に浮かぶ人口20人の島。香川県丸亀市の手島に入れ込んでいる。

スーパーもなければ病院もない。信号もなければ、横断歩道もない。あるものと言えば自販機が1台だけ。平均年齢80歳。

私も長期休みには母のプロジェクトに同行している。       

「えりちゃん(私)が行くならなら、島で新しい事業をやっちゃえばいいじゃん!」と周囲の方から言われることもあった。

しかし、私のような未熟な起業家が時々島に行き、知った気になって「こんなことやろうぜ!」とパワーで押し切るのは非常に無責任で、彼らを置いてきぼりにする。決して島民が望む幸せの形ではない。

「島がどうなれば島民は幸せなのか?」

母はひたすら島民に寄り添ってきた。外からのパワーだけではなく、70歳以上の島民が持つ島の内側から出るパワーをどうしたら引き出せるのか?
そう簡単に出るわけではない答えを母は3年間、様々なプロジェクトを実践しながらあきらめずに考えてきた。

「尾崎さん(母)がやることは応援したいが、自分達がそれを維持するのはきつい。」と島関係者から声が聞こえてくる。しかし、又「尾崎さん、やはり一緒にやろう」とエールが届く。そのたびに島民達と話し合いながら「彼等の負担のないように、でも魅力のある島にしないと人が来ない」という相反する状況の中で一歩ずつ前に進んできた。

ある時、大手企業が「ここを開発したいから」と母にコンタクトを取ってきた事があった。

島民たちは自給自足している。穏やかに暮らしている20人にお金が回り始めると「あの人は私よりもいっぱいもらっている」と比較が始まり、穏やかな島はいがみ合う島になるリスクもある。

島が観光地化されることは島民も母も望んでいるわけではない。
母はこれまで島民の力を引き出すために時間をかけてきたので彼等の信頼は絶大だ。
だからこそ、判断を間違えるわけにはいかない。

母は「大きな力」に頼らず、身の丈から始めた。

母は京大農学部の学生等とタッグを組んで、若い力を島に入れた。

島には香川本鷹と言う幻のトウガラシがあり、島民の優しさに触れた彼等は喜んで島のプロジェクトに取り組んでいる。

島民の心の拠り所にしている寺の裏山に生えている竹林を切った。ほっとけば寺がつぶれる。
400本の竹を切って、チップにすると、その中でカブトムシの幼虫が育つようになった。

夏には大きなカブトムシがわんさかとれるようになり、子供達が集まるようになった。 
竹チップスの山は子供達にとって金塊。


そして、地道に花を植え始めた。

香川県立丸亀養護学校の生徒が育てた花の苗が無償で提供されている。年3回春夏秋の季節の苗が1000ポット、島民と共に県内外の子供から大人まで有志によって植栽されている。

そんな活動をしている中で、昨年、若手4人の陶芸家が移住してきた。
築100年の空き家を自分で改修し、登り窯を作ってこの島の土で焼き物を作ると言う。
そのうちの一人はエンジニアとして東京の仕事をリモートで行ってもいる。

関係人口は確実に増えた。

外から移住者も来た。

しかし、実は島民たちの活動範囲はほとんどは変わっていないのだ。
島外から来た人たちが頑張っていて、そこに島民がかかわっている。という状態なのだ。

島に人が来ることで島のパワーを増やすことはできたが、島民自身のパワーは増えていない。外のパワーは注入できても、中のパワーアップまではできていない。

活動し始めて3年経った今、母はある結論にたどり着いた。

きっかけは母の友人がユンボが持って島にやって来てくれた時のこと。
島の人たちが大いに興奮した。

おじいちゃんたちにとって重機は「力」だ。
若い人の力を借りるのも必要だが、自分に力がほしいと思うのも当然だ。
彼らはユンボを手に入れることでこれまで休耕地だったところを耕作地に変え、植える作物の種類を増やした。
誰の手も借りずに、自分の力で活動の量と質を向上することができるのだ。
ユンボはさらに壊れて朽ちた家をも壊した。
朽ち果てた家が減るだけで、見違えるように島は明るくなった。

コンクリートのように硬く、木の根っこが絡み合っている休耕地がみるみるうちに耕作地に変身。そして、半年後、我々が植えた花の苗が見事なフラワーロードに生まれ変わった。

彼らは「次、ユンボが来るのはいつだろう」と心待ちにしている。
しかし、次回ユンボが来る予定はない。

高齢・過疎化が進む場所にこそ「人の力と機械の力」この両輪が必要なのだ。

海上交通が盛んだった江戸時代以降、手島は海運業で繁栄を築き、その面影がいたるところに残っている。更に島遍路文化もお年寄り達によって細々と守られている。

島民はそんな当たり前の豊かな日常を次世代に残したいと願っている

89歳を頭におじいちゃんたちは皆、青年団員で消防団員で救急隊員である。ここには老人会はない。島で起こった出来事は自分達の知恵と力で解決してきた。

私と母は1年かけて彼等を主役に実験をしたい。
ユンボや竹チップを作る重機が島にあれば、島の人は何をはじめ、生活がどう変わるのか。

ぜひ、この実証実験に興味のあるユンボや竹チッパーをお持ちの重機関連会社さんがいたら、ご連絡ください。

年齢によってパワーが無くなる島民にとって、重機を手にすることはパワーを手にすること。

母はずっと「島の人たちはスーパーマンだ」と言い続けている。

スーパーマンを外から呼んできて助けてもらうのではなく、彼らこそがスーパーマンなんだ、と。

しかし、スーパーマンもマントがないと飛べない。
島民たちにとって重機がマントとなりうるのではないか、と私たちは考えている。

日本の限界集落のおじいちゃんたちが重機によって集落をどう変えるか。
私は見てみたい。

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