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敢えて禁忌を犯す

音楽や映像が簡単に電子データとして扱えるようになってもう何年経つだろう?

私はコンピュータなりオーディオなりは一早く先端技術を取り入れたい派であるので、例えば携帯型MP3プレーヤーを最初に手に入れたのは1999年のことである。それから現在に至るまでの24年間で世界の音楽事情は大きく変わった。音源はCDとして手に入れるのが当然だったものが、いつの間にかネットから直接音源データをダウンロードしたり、ダウンロードせずともストリーミングで聴き放題というのが主流になった。ただ、個人的にはこの流れはあまり良いものではないと考えている。特にクラシック音楽に関しては。

CDで音楽を聴かないことの最大のデメリットは、「目的とする曲しか聴かなくなる」ということだと思う。最近はCDでいうところのトラック毎に曲を買ったり、サブスク等で聴いたりできる。逆にこれがメリットだとも言えるのだが、これだとある特定の作曲家や特定の演奏家、特定の曲しか聴かなくなってしまうと思うからだ。

そもそもCDには70分超の音源データを記録することができる。例えば、私が持っているCDのうちのとある3枚の収録曲は以下のようになっている。
CD①:ブラームス 交響曲第1番(45:34)+運命の女神の歌(12:32)
CD②:ベルリオーズ 幻想交響曲(55:03)+序曲「海賊」(8:08)
CD③:チャイコフスキー 交響曲第5番(46:33)+幻想序曲「ハムレット」(17:49)

お解りのようにメインの交響曲だけでは収録できる音源データに余裕があるので通常の場合は60分程度にはなるように他の短い曲をカップリングして販売されているのが普通である。このカップリング曲は違う作曲家の曲や違うジャンルの曲の場合もあるので、意図せず新たな曲を知るチャンスになるのである。

現在のようにダウンロードやサブスクが主流になると目当ての曲どころかともすると曲の一部だけ、例えばブラームスの交響曲第1番の「第4楽章」だけ、とか幻想交響曲の「第5楽章」だけしか聴かないという人もいるのかもしれない。どのように音楽を聴くのかは本人の自由であるのは分かっているのだが、個人的にはあまり好ましいとは思えないのである。全曲通して聴くからこそのその楽章の「良さ」は感じ取れないはずだからである。ましてや「楽章の途中から聴く」なんてことはもっての外である。でも、現実には「この楽章の3’12”から聴く」なんてことができるので実際にやっている人もいるのではないだろうか?もしかしたら再生スピードも速くできるから×2で聴いているっていう人もいたりして。😲

ただ、こういった機能は曲の中で自分のアピールしたい部分を他人に伝えるにはとても便利なのである。楽譜を使って「何小節目から」というよりずっと分かりやすいし。

今回は私の好きな作曲家Best3の一人なのだが、まだまだメジャーとは言い難いショスタコーヴィチの曲のうち、10曲を選び、聴きどころの3秒前から時間を指定してYouTubeのリンクを貼り付けることとする。正に「掟破りの逆サソリ」的発想なのである。


交響曲第1番 ヘ短調 作品10


交響曲第4番 ハ短調 作品43


交響曲第6番 ロ短調 作品54


交響曲第8番 ハ短調 作品65


交響曲第11番 ト短調 「1905年」 作品103


交響曲 第12番 ニ短調 「1917年」 作品112


ピアノとトランペットのための協奏曲【通称:ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 作品35


チェロ協奏曲 第2番 ト短調 作品126


交響詩 「十月革命」 作品131


ロシアとキルギスの民謡の主題による序曲 作品115


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