島のインじぃ言いたい砲台29 〜続 観音崎砲台 in 東京湾要塞〜 2023.3.20と7.14
観音崎第3砲台
観音崎第2砲台から10分ほど歩いて,薄暗いトンネルを抜けると第3砲台です。トンネルのレンガ部分はイギリス積みです。
第3砲台は明治15年起工・明治17年竣工(完成)で、口径28cm榴弾砲4門を配置します。
③正面フランス積みのレンガ壁より下が地下弾薬庫で、道路との境目付近に天井のアーチ部分が少し見えてます。レンガ壁の上は石を積んで横牆(砲座の横の土手)の壁にしており、写真の入り口みたいな所に、地下弾薬庫から弾丸を引き上げる揚弾井があります。
大浦堡塁と腰越堡塁
上陸した敵から観音崎砲台を守る2つの堡塁です。
大浦堡塁は明治28年起工・明治29年竣工で、口径9cmカノン砲2門を配置します。かろうじて残っている砲座?のレンガ壁はイギリス積みです。
腰越堡塁は明治28年起工・明治29年竣工で、口径9cmカノン砲2門を配置します。
ここも大浦堡塁同様、公園になっていて、隅丸方形の砲座とその背後に地下弾薬庫の上部?と思しき横牆のレンガ壁が残っています。イギリス積みですね。
三軒家砲台
観音崎の砲台群の北端にあり、明治27年起工・明治28年竣工、口径27cmカノン砲4門・12cmカノン砲2門を配置しました。
口径27cmの砲座は平面U字型の石垣で、内側に迷彩模様が残っています。ただ敵に見えない内側を迷彩にしても意味が無いんじゃないだろうか?
砲側弾薬庫は横墻の地下にあり、階段で降りるようになっています。中は見えませんが、イギリス積みの壁で天井のアーチもレンガです。
施工が凝ってるなと思うのが、防水性を高めたい入口周辺や床面に近い場所等に、焼き過ぎレンガを用いていることです。
左翼に12㎝カノン砲2門を、半円形の突出部(砲床)が2つある1砲座に配置します。小型のカノン砲で良く見る形です。
ここまで第1砲台から北へ歩いてきましたが、次は第1砲台から南へ向かいます。
観音崎第4砲台
第4砲台は明治19年起工・明治20年竣工で、口径15㎝カノン砲4門が配置されます。
ここは自衛隊の土地なので立入禁止ですが、グーグルマップで砲座の形がわかります。
中心軸と前心軸のカノン砲
写真下から2番めの砲座が一番原型を留めています。三軒家砲台の27cmカノン砲の砲座は(逆)U字型で大型のカノン砲の砲座としてはごく一般的な形でした。この第4砲台の砲座はそれとは違う独特な形になっています。
三軒家のカノン砲は中心軸といって、大砲を真ん中で固定し、大砲先端を円形に大きく振るので、胸墻(前壁)もそれに合わせた半円形。第4砲台のカノン砲は前心軸と言って、固定する位置が前にあって、お尻を大きく振るので、お尻の軌道に合わせて後ろが半円形、と言うことだと思います。
もう一度写真下から2番めの砲座をよく見て下さい。お尻の車輪を移動させた半円形の跡がはっきり写っていて、砲座の形がそれに沿っているのがわかると思います。
今発掘している砲台も数少ない前心軸のカノン砲を配置してるので、ちょっと軸にこだわりました。
第4砲台が見えるかと期待して、冒頭写真の観音崎灯台に登りましたが、ぎりぎり見えなかったです。残念(;_;)
南門砲台
明治25年起工・明治26年竣工で、口径12㎝速射カノン砲4門と9㎝速射カノン砲4門を配置したとされてますが、わずかに円形の花壇に中心軸を固定したアンカーボルトが残っています。(草茫々ではっきり見えませんが…)
観音崎を後にします。観音崎バス停横食堂のフィッシュバーガーが揚げたてで結構いけます😋
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