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クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #86~ヴィクトル・デ・サバタ/ベルリン・フィルハーモニー R.シュトラウス『死と変容』(1939)

リヒャルト・シュトラウスと交響詩

19世紀終盤から1940年代にかけて活躍したドイツの作曲家・指揮者のリヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss, 1864年6月11日 - 1949年9月8日)。
宗教曲以外のあらゆるジャンルに渡って作品を残した彼を、ハインリヒ・シュッツ(Heinrich Schütz, 1585年 - 1672年)から始まった450年近くの「ドイツ音楽史」の掉尾を飾った作曲家、と言って過言でなかろう。

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彼の作品の中で、音楽史的に特に重要と思われるのが「交響詩」「オペラ」「歌曲」の3つのジャンルであることに異を唱える人もいないであろう。
今回はそんなリヒャルト・シュトラウスの重要な作品群、交響詩のジャンルから、1889年に完成した『死と変容』作品24を、20世紀前半のイタリアを代表する指揮者、ヴィクトル・デ・サバタ1939年ベルリン・フィルハーモニーと残した78rpmでお届けする。

「交響詩」という音楽は、19世紀にリストによって始められた管弦楽曲の1ジャンルで、「交響曲」のように特に決まった音楽形式がある音楽ではなく、一般的には標題に基づいた描写音楽心象音楽である。
シュトラウスは交響詩の大家であった。ソナタ形式、ロンド形式、変奏曲形式、多楽章形式と、様々な音楽形式、そして大編成のオーケストラを自在に操る多彩なオーケストレーションによって傑作の数々を世に送り出した。1888年に『ドン・ファン』を発表、これがシュトラウスにとって、発表された順で言えば初の交響詩であり(その前に『マクベス』が作曲されているが、発表は『ドン・ファン』より後)、出世作である。そして、その翌年に発表された第3作が『死と変容』である。

『死と変容』

シュトラウスは生まれつき病弱で、成人してからは何度も大病を患い、生命の危機に瀕したこともあった。
『死と変容』はそんな自らの体験と心境を音楽にしたものであり、完成後、友人であった詩人、アレクサンダー・リッターに作品の内容を伝え、それを詩にしてもらうように依頼し、その詩は作者名が伏された形で、スコアの冒頭に掲げられた。

詩の概要は以下のようなものだ。

小さな貧しい部屋の中で、病人は死との戦いに疲れ果て眠っている。柱時計が不気味に時を刻み、死が近いことを予感させる。病人は子供の頃に夢を見るかのように力なくほほえむ。死は容赦なく襲いかかり、病人を揺り起こし、再び恐ろしい戦いが始まる。しかしこの戦いの勝利は決せられることなく、静寂が訪れる。病人は自らの彼の生涯の順を追って思い起こす。無邪気な幼い頃の日々。力の鍛錬に勤しんだ少年時代。自己の理想を実現するための闘争。心から憧れた全てのものを彼は死の床にもまた求め続ける。ついに死は最後の宣告を下し、死の一撃が響き、肉体を引き裂く。しかし死の恐怖は安らぎへと変わり、天界から彼の求めた世界の変容(浄化)が美しい余韻と共に響いて閉じられる。

一般的にシュトラウスの交響詩の中にあって、特に重要なのは『ドン・ファン』『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』『英雄の生涯』の3作と言われている。それに次いで人気があるのが『ドン・キホーテ』『ツァラトゥストラはかく語り』だろう。『ドン・キホーテ』は優れたソロ・チェリストが必要、『ツァラトゥストラ』はパイプオルガンが必要なので、前の3作に較べて実演に接する機会は決して多くない。
『死と変容』はさらに演奏される機会は多いとは言えないが、日本は別にしてヨーロッパでは78rpm時代から、『ドン・ファン』や『ティル』とまではいかないが、比較的録音に恵まれた作品だ。
「ヨーロッパで」というのは、やはり宗教による死生観を日本人より強く持っているヨーロッパ人、そして彼らが両大戦間という不安定な時代に生きたことと無関係ではないだろう。
作曲者本人C.クラウス、そしてW.フルトヴェングラーなどの78rpmがよく知られている。

ヴィクトル・デ・サバタ

ヴィクトル・デ・サバタと言えば、1930年A.トスカニーニの後任としてミラノ・スカラ座音楽監督に就任、心臓病がもとで指揮活動から引退する1953年までこのポストに留まったこと、そしてマリア・カラスのよき理解者としても知られている。

Victor De Sabata, 1892年4月10日 - 1967年12月11日

その通り彼のメイン・フィールドはイタリア・オペラであったが、一方でスカラ座でワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を取り上げて好評を得て、それ以降、この楽劇はサバタの十八番として知られるようになった。『前奏曲とイゾルデ愛の死』の78rpm録音も残っている。
また、1939年にはトスカニーニ以来2人目となるイタリア人指揮者としてバイロイト音楽祭から招かれ、その『トリスタンとイゾルデ』を指揮している。
他にもベートーヴェンやブラームスの録音もあり、ドイツ音楽にも造詣が深かった。
彼がスカラ座のバトンを受け取ったトスカニーニ、そして1953/54年シーズンのスカラ座オープニング公演の指揮をサバタが体調不調を理由にキャンセル、代役に抜擢された彼のアシスタント、C.M.ジュリーニが同じくドイツ音楽を得意としたことに通じる。

トスカニーニ~サバタ~ジュリーニ、その後にはC.アバドR.ムーティR.シャイーF.ルイージが続く・・・。

【ターンテーブル動画】

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引退が早かったため、ステレオ時代には録音を残さなかったサバタであるが、彼のドイツ音楽は国を超え、時代を超え、後世に伝えられていく。


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