シレナ1912×78rpmの邂逅 Vol.11~エルネティーネ・シューマン=ハインク『ローレライ』(1915)
エルネスティーネ・シューマン=ハインク(Ernestine Schumann-Heink, 1861年6月15日 - 1936年11月17日)。 19世紀の終わり四半世紀から20世紀の初め四半世紀に活動したドイツ出身のコントラルトである。
ドレスデン、ハンブルクなどで活躍。バイロイト祝祭でも1896年から1914年の長きに渡って中心メンバーとして活躍した。
そして1898年、当時の成功を収めた歌手の多くがそうであったように、ニューヨークのメトロポリタン・オペラにも進出、1932年までに284回出演した。
ロンドンのコヴェント・ガーデンではマーラーと共演もしている。
更に1909年、ドレスデン・ゼンパー・オーパーで行われたリヒャルト・シュトラウスの『エレクトラ』初演に、コントラルトにとっては大切なオペラ・レパートリーのひとつであるクリュテムネストラ役で出演。
しかし、シューマン・ハインク自身はこのオペラに高い評価を与えていなかったという。
一方、作曲者の方も彼女の演技には否定的だったという。
当時のオペラ界にあって、飛ぶ鳥を落とす勢いだったシュトラウスの作品に物申す38歳のコントラルト。残された写真の”肝っ玉母さん”のような風貌を見るにつけ、こんなエピソードにも「納得」・・・。
シュトラウス本人が彼女のことをどう評価しようとも、シューマン=ハインクがこの時代のワーグナー、R.シュトラウスのコントラルトのレパートリーの第一人者であったことには変わりはなかったと思う。
シューマン=ハインクは1906年から20年にかけてヴィクター・トーキング・マシン・カンパニーに多くの録音を残している。もちろん、ワーグナーやR.シュトラウスといった得意のレパートリーが含まれているが、それらと並び伝承曲、民謡の類、そして讃美歌(聖歌)の録音が多いことも目に付く。
ソプラノと比較して"レコーディングする(できる)=ニーズがある曲"が少ないと思われるコントラルトのオペラ・レパートリーに加え、彼女にこうした世俗曲、そして讃美歌を歌わせて商品化するのは、レコード会社、プロデューサーの素晴らしいアイデアだったように思える。
その類の代表盤と言っていい『ローレライ』を、1912年ポーランド製シレナ蓄音機で。
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