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クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #100~オットー・クレンペラー R.シュトラウス『七つのヴェールの踊り~”サロメ”』(1928)

何故、クレンペラーの78rpmは、クナッパーツブッシュより少ないのか?

お陰様で「クレデンザ1926×78rpmの邂逅」が100回目を迎えた。
ありがとうございます。
とは言いつつも、100回目だからと言って何か特別な企画をするわけでも、秘蔵78rpmをご紹介するわけでもなく、最近手に入れた一枚をご紹介したいと思う。
このシリーズの「中心メンバー4人」、ブルーノ・ヴァルターヴィルヘルム・フルトヴェングラーエーリヒ・クライバークレメンス・クラウスに次ぐ重要人物、オットー・クレンペラー(Otto Klemperer, 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の78rpmである。
曲はリヒャルト・シュトラウス『サロメ』より『七つのヴェールの踊り』1928年ベルリン国立歌劇場管弦楽団(ベルリン・シュターツカペレ)との演奏。

クレンペラーの78rpmは4人と比較すると極端に少ない。かの録音嫌いハンス・クナッパーツブッシュよりも少ない。それについてはクナの『軍隊交響曲』の記事にも綴った。

しかし、「クナは録音嫌いだったから」と言うのと同じように、クレンペラーが録音嫌いだったとは思いにくい。何しろ戦後1950年代に入れば、EMIの録音専用オーケストラ、フィルハーモニア管弦楽団(後年ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)と次から次へ自分の主要レパートリーをレコーディングしていったのだから。それはワルターがニューヨーク・フィルとコロンビア交響楽団とのレコーディングに共通、いやそれ以上の質と量だと言ってよい。

クレンペラーの戦前のレコーでイング・セッションが少ない理由は、恐らく精神的病(躁鬱病)脳腫瘍、そして病から引き起こされる色情狂的行動(ほとんど犯罪)など、当時の彼が抱えていた様々な問題から生じるコミュニケーション能力の少なさから来ていたのではないだろうか?(あくまでも推測)

そんな中にあって、クレンペラーが先の4人とほぼ同時期、特にクラウスを除くヴァルター、フルトヴェングラー、クライバーとは同じベルリンで切磋琢磨するかのように競い合っていたクロル・オペラ音楽監督時代にレコーディングした多くとは言い難い78rpmは「宝の山」だ。
それについては今回の『七つのヴェールの踊り』と同時期にレコーディングされた別の78rpmを取り上げた際に詳しく綴ったので、そちらをご覧いただければ幸いである。

【ターンテーブル動画】

クレンペラーにとってリヒャルト・シュトラウスは、もちろんそのレパートリーの中心だったし、後年のフィルハーモニア管弦楽団とも主要作品をレコーディングしている。

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このこともよく「note」で言わせていただくことだが、78rpm時代、シュトラウスは「生きた作曲家」であり「コンテンポラリーかつ人気コンサート・レパートリー作曲家」であった。
したがって、クレンペラーに限らず、作曲者本人やヴァルター、フルトヴェングラー、クライバー、クラウス、フリッツ・ブッシュ、カール・ベームなどが残したシュトラウスの録音は、レコード録音史上非常に価値のあるもの、という認識をそれらを聴く度に新たにするのである。

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特に彼らの中にあっては最もアヴァンギャルドな指揮者であったクレンペラー、そして色情狂とまで言われた男が、サロメに踊ることを所望し、それを成し遂げることで預言者ヨカナーンの首が入ることを夢見て、一枚一枚ヴェールを脱ぎながら踊るサロメに、欲望の眼差しを隠さなかったヘロデ王の気持ちに焦点を合わせたようなこの演奏は、実に興味深い。



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