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1980年代終盤から1990年代初頭の女性アイドル・ポップスの完成度 #2〜Qlair

「note」でメインに綴っているニッチなクラシック音楽や古い音盤の記事が、それほど多くの方の反応を得られないことは想定内であったが、先日初めて日本のアイドル・ポップスに関する記事をアップしたら50名近くの方から❤️をいただいている。クラシックの記事の約15倍だ。
喜んでいやら悲しんでいいやら・・・。

テーマが誰でも知っている工藤静香(に姿を借りた後藤次利)論、だったから皆さんの興味を惹いたのかもしれない。

ということで、2回目の今回は一気にニッチなところに入り込むことにした。
これでもし多くの方が❤️していただけたなら、このシリーズ、多少のニーズがある、ということになるのかもしれない。

Qlair

Qlair(クレア)である。
この時点で「?」と思われる方が多いのは先刻承知している。
がしかし、最初にお伝えしておけば、1980年代終盤から1990年代初頭の女性アイドル・ポップスで、私が最も感心するのがこのQlairである。

Qlairは、フジテレビのタレント育成プロジェクト「乙女塾」から1991年にデビューした女性アイドル・ユニットだ
メンバーは今井佐知子井ノ部裕子吉田亜紀の3名。

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乙女塾からはユニット、グループとしては先にCoCoribbonの2組がデビューしていた。
「アイドル冬の時代」の時代にあって、特にグループ、ユニットはおニャン子クラブの反動からか、目立ってヒットしたアイドルが少ない中、CoCoとribbonはオリコン・シングル・チャートTOP10にランクインするなど、一定の活躍、評価を得ていた。
実際、おニャン子クラブと比較すれば、その音楽クオリティーは相対的には高かったと言っていい。
ただ、時代はそれを評価する方向にはなかった。
アイドルであるのと同時に女優業も行ったり(南野陽子、酒井法子、中山美穂)、工藤静香のように圧倒的な歌唱力と楽曲力で、より幅広い層に訴求できるアイドルのステイタスが高くなっていったのだ。

先輩2グループと比較すると、Qlairのオリコン・チャートは、シングル47位(5th『秋の貝殻』、アルバム52位(3rd『Sanctuary』)が最高位となっている。世間的に広く認知されていたとは言い難い。

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Qlairのアイデンティティ

ところで、Qlairというユニット名は、ギルバート・オサリヴァン『Clair』から命名されている。
彼女たちのコンサートのオープニング・テーマはこの『Clair』で、エンディング・テーマは同じくオサリヴァンの代表曲『Alone Again』だった。
オサリヴァンの音楽は1960年代末から1970年初頭の音楽ムーヴメント「ドリーミー・ポップス」(日本では「ソフト・ロック」と言った方が通りがいいか)にも通じる良質で上品なポップス、と位置付けられる。
そこからユニット名を引っ張り出した、という点からして、Qlairのユニットとしてのコンセプトを垣間見ることができる。
Qlairの音楽は極端にロック寄りだったり、逆にバラードばかり、という音楽ではなく、「ポップス中庸の美」をベースにキャッチーなメロディーとお洒落で女性らしいキュートなアレンジを施したものが殆どだ。
歌詞も刺激的な恋愛を綴ったものはなく、少女の日常の機微(もちろん、恋愛も含まれるが)をパステル調に扱っている。微温的ではあるが、とにかくコンセプトにブレがない。

ビジュアル、そしてハーモニー

それはビジュアルにも当てはまる。
CDジャケットや宣伝材料、写真集に共通するのは爽やかさ・清潔感、そしてメルヘン、といったイメージだ。
それが早くも形となって表れたのが1991年11月21日にリリースされた1stアルバム『Les filles』だ。初回限定ボックス仕様でリリースされ、フランス語で「女の子」の意味を持つこのCDアルバムには写真集が付属していたが、それも含めてここでのビジュアル・コンセプトは「森の中を飛び回る妖精」といった感じ。

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これはもうアートの域に達している。

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そして、もう一つのQlairのストロング・ポイントは「ハーモニー」、つまり3声でハモって歌える、という点。
当時のアイドル・シーンではもちろん、2021年現在のアイドル・シーン、1990年代終盤以降のモーニング娘。を筆頭とするハロプロ系でも、ほとんどのグループの歌は「ユニゾン」だ。全員が同じメロディーを歌う。
そんな中、Qlairは低域を今井佐知子、中域(メイン)を吉田亜紀、高域を井ノ部裕子が歌い分けるというパートが、多くの楽曲に存在する。
まさに先ほどQlairというグループ名の由来とも関係するドリーミーなコーラスがQlairの音楽的アイデンティティだ。
もちろん、アカペラ・グループのような正確無比なハーモニーではないが、アイドル・ポップス・シーンでハモることに拘ったグループ、ユニットはごくごく僅かと言っていい。

クリエーター陣

木戸やすひろ、山口美央子、外間隆史、財津和夫、大沢誉志幸、安部恭弘、鈴木祥子、山川恵津子・・・。

Qlairに曲を提供している作曲家を一覧すると、こんな名前が目に付く。
自身がアーティストであり、しかもヒット曲を持つ人もいれば、世間的には名前の知られていないアーティスト(アーティストとしてはヒットしなかった人)、専業作曲家と様々だが、共通して言えるのは美しいメロディーライン、そして概してシティーポップス的路線を得意とした人たち、ということである。
ここについても明らかな意図、戦略がある。
これは余談だが、遊佐三森渡辺満里奈にとっても大切なサウンド・プロデューサーであった外間隆史はQlair解散後、メンバーの井ノ部裕子と結婚している。

個人的に

ここからは私が実際に接したQlairについて。
工藤静香の「note」でも触れたが、私は1988年4月~1993年3月までの5年間、あるエフエムラジオ局で週1回2時間のアイドル(ポップス)番組を制作していた。
当然、Qlairをゲストに招いたり、Qlairも出演する番組の公開録音イベントを行ったりした。
3人とも裏表のない素敵なお嬢さんだ。

Qlair はレコードメーカーEPIC SONY の中の「LIFE SIZE」というレーベル に所属していたが、私が彼女たちと接触するきっかけはレコード・レーベル・サイドからではなく、所属事務所であるメリーゴーランドを通じてであった。
メリーゴーランドは、元々渡辺プロダクション(現ワタナベエンターテインメント)で沢田研二のマネージャーとして活躍されていた森本精人氏が独立して立ち上げた芸能プロダクションだ。Qlair以前にメリーゴーランドに所属していた女性アイドルでは島田奈美らがいた。
そんな森本氏はQlairのファンから「熱い男・森本」と呼ばれ、社長でありながら(良い意味で)常に現場最前線でその辣腕を振るって、Qlairを盛り上げて可愛がっていた。そのまっすぐな気持ちに学ぶべきものは多かった、と個人的には思っている。

Qlairの3人、というか3人組ユニットのある種パターンだが、キレイ系=井ノ部真面目(しっかり者)系=吉田天然(おバカ)系=今井、というコントラストもQlairのアピール・ポイントだったと思う。
吉田は井ノ部、今井より2歳年下だったが、番組でもオフマイクでも一番しっかりしていたのは実は彼女だった。頭の回転も速く、こちらから何かを説明している時に向ける視線の鋭さが、今でもとても印象に残っている。
ぶっちゃけ、3人の中ではいわゆるアイドルのイメージからは一番遠く、”華”もあまりなかったように思うが、実はファンから一番人気があったのは吉田だった、というのも「アイドルの”実は”あるある」だったように思う。
そして、歌が一番上手かったのも吉田だった。曲の「ここ!」という押さえどころはどの曲でも彼女が歌っていた。

残念ながら前述したように世間的ヒットには恵まれず、1994年に実働3年弱で活動を休止、解散したQlairだったが、コンセプチャルで、アイドル的要素とアーティス的要素を音楽、ビジュアルの両面で高次元に調和させていたアイドルは唯一無比であったように思う。
ただし、”POPS”と言う以上、ヒットし、大衆化しなければそれは成功だったとは言えない、という厳しい意見も承知している。
がしかし、と言って闇に葬り去るのも忍び難い。

当時、ファンの間で最も人気の高いQlairの曲はシングル曲ではなく、アルバムに収録された1曲だった、というのもQlairらしい。
それは先に挙げた1stアルバム『Les filles』に収録された『約束』という曲だ。
明日から離れ離れな生活を強いられる、互いに淡い恋心をもった女の子と男の子の同級生(高校生?)が、海に出掛けて最後の思い出を作り、前向きな気持ちで一日を終える、というストーリー。
今井佐知子、井ノ部裕子17歳、吉田亜紀15歳。
まさにこの年齢だから歌える等身大の歌詞、そしてその詞が生きる伸び伸びとした、そしてちょっと切ないメロディーとアレンジ、そして3声のハーモニー・・・。
「隠れた名曲」と片付けてしまうにはもったいない1曲だ。

残念ながらspotifyなどのサブスクではオリジナル・アルバムの形で聴くことはできないが、ベスト盤の中の1曲として『約束』やシングル曲などの代表曲も聴けるので、是非一度耳を傾けていただきたい。





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