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クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #16~B.ヴァルター/ウィーン・フィル 1938.1.15 マーラー『アダージェット』

今日、2月17日は指揮者ブルーノ・ワルター(1876年9月15日 - 1962年2月17日)の命日。ワルターが亡くなって59年が経過したということになる。

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晩年のコロンビア交響楽団とのセッション録音

私の人生とワルターの人生は、2年ちょっとの差で重なっていないが、中学生当時、クラシック音楽に首を突っ込み始めた頃、ワルターの音楽はレコードによって広く世間に流布されていた。
特に晩年、アメリカ・コロンビア・マスターワークスが、公での指揮活動を止め、隠居生活を行っていたワルターを説得、コロンビア交響楽団という臨時編成のオーケストラを組織し、彼の健康に配慮して、時期やセッション時間も工夫されて行われたステレオ録音プロジェクトは、数々の名演LPを世に送り出した。
オペラの全曲録音を除き、彼の代表的レパートリーをほぼ網羅するこの録音群は、1982年以降、順次CD化されていったが、恐らくLP時代の音源をCDで復刻する、というメリットの恩恵を最も受けたのが、このワルターとコロンビア交響楽団の演奏ではなかったか?

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私はフルトヴェングラー、シューリヒト、クナッパーツブッシュについてはLP時代から懐事情が許す限り、音盤を買い足していったが、ワルターのLPはモーツァルト程度しか持っていなかった。
CD化されたワルターの様々な演奏を聴いて、その音の良さにびっくりしたことを今でもよく覚えている。

流浪の民 ヴァルター

ブルーノ・ワルターの音楽人生を語る際、彼がドイツ系ユダヤ人であり、ナチス政権が樹立されるまでは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーと、いやそれ以上にヨーロッパ楽壇の頂点にあった指揮者であった、という視点を欠くことはできない。その華麗な経歴(ウィーン宮廷歌劇場楽長、ミュンヘン宮廷歌劇場音楽監督、ベルリン市立歌劇場音楽監督、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団楽長)が物語るように、名実ともに最高の指揮者であったヴァルター(アメリカへ渡るまでの彼を表する時は、便宜的に「ワルター」ではなく、「ヴァルター」とする)の人生航路は、ナチスによって大きく狂い始める。
まずは宣伝相ゲッペルスらによる執拗な嫌がらせ、殺人予告(実際に楽屋に銃弾が撃ち込まれたこともあった)もあり、身の危険を感じたヴァルターは生まれ故郷ベルリンからウィーンへ活動の場を移す。
しかし、1938年3月12日に成立したナチスによるオーストリア併合(アンシュルス)により、ウィーンでの活動も危うくなり、そこからヴァルターの「流浪の民」としての人生が始まる。
スイスを経て、パリ、そしてルガーノに落ち着くまでの苦労は並大抵のことではなかった。
さらに39年に第二次世界大戦が勃発し、ヨーロッパ大陸全体が戦災によりカオスの世界に突入し始めると、新大陸アメリカへ渡った。

性善説論者 ワルター

ユダヤ人であるが故の自らに襲い掛かる災難、音楽活動への様々な障害に見舞われたヴァルター(ワルター)であったが、アメリカへ渡ってからはもちろん、ナチス支配の下、ヨーロッパで活動していた時期にでさえ、彼の音楽には人間の尊厳寛容性温和さが満ち溢れていた。
誤解を恐れずに言えば、彼の音楽はその身が置かれた状況とは正反対で、幸福感に満ち溢れる音楽だった。音楽は時代や自らの境遇と関係しあうことなく、独立した存在であるかのような・・・。
この不思議について、前から、そして今でもその正体を掴むことが私にはできない。
ただ言えることは「ワルターは性善説論者だったのではなかろうか?」というに留まる。

マーラー ヨーロッパとの惜別の音楽

そんなブルーノ・ヴァルターが、流浪の民になる直前の生々しい記録として、彼の師、上司であったグスタフ・マーラーの最後の交響曲、そして彼の死後、それを初演したヴァルターとウィーン・フィルによる『交響曲第9番』のライブ録音が残されている。1938年1月16日、ウィーン・ムジークフェラインでの演奏である。

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アンシュルスまで2か月弱、後付けにはなるが「ヴァルター、ヨーロッパとの惜別の演奏」として語り続けられてきた演奏だ。
思いのほか、早めのテンポで進行するその音楽は「時代や境遇からは隔絶されたヴァルターの音楽」という認識とは趣きを異にする、どこか「焦り」を感じるもののように思う。さすがのヴァルターも、自らの今後に想いを馳せざるを得なかったのだろか?

『アダージェット』

そしてヴァルターはこの演奏会の前日、1938年1月15日に同じくウィーン・フィルとマーラーの『交響曲第5番』の第4楽章『アダージェット』のセッション録音を行っている。
後の1971年に公開された、トーマス・マン『ヴェニスに死す』を原作としたルキノ・ヴィスコンティの同名の映画で象徴的に使用され、その存在を広く知られるようになり、爆発的にヒットしたコンピレーションCD『アダージョ・カラヤン』に収録され、さらに市民権を得た『アダージェット』。

弦楽合奏とハープのみで奏される、その耽美で隔世の感がある音楽。
実は40年ほど前の高校生時分、78rpmを買い始め、ほとんどがゼロが2つしかない盤を買っていた頃、神保町・富士レコード社で初めて買った高価な(と言っても4,000円だったが)78rpmだった。

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【ターンテーブル動画】

今、この音盤をクレデンザ蓄音機で再生してみる。
「惜別」「回顧」か、「希望」か、「諦観」「悲観」か、いや「ただただ美しく愛の籠った、何にも邪魔されない演奏、音楽なのか?」

是非、ご一緒に体験していただきたい。




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