「巧い」と言われるベルリン・フィルの功罪の「罪」
シューベルト『八重奏曲』。
ベルリン・フィル八重奏団のLP。
と言っても、本体が日本公演を終了し帰国の途についた後も居残ってコンサートを開いている、あの日本人コンサートマスターがリーダーを務める現在の同名の団体とは全く別物と言っていい、フルトヴェングラーの音楽を知り尽くした猛者どもが1950年代に録音した音盤。
先ごろのベルリン・フィルの日本公演に行かれた何人ものうちのお客様から、公演の感想を聴く機会に恵まれた。
皆さん色々おっしゃるのだけれど、結果的に話は一つの点に集約されるのかな、と思った次第。
「やっぱりベルリン・フィルは巧いよね」
「うまい」に「巧い」という漢字を充てたのは、やはりそれが「美味い」でも「旨い」でもなく、「上手い」ですらないように、話を聞かされている側には思えてしまうから。
そして、「うまい」が「巧い」のなら、たとえ最低でも数万円のチケットを買える財力と、店の閉店時間を繰り上げる勇気があったとしても、足を向けることはないだろう、と思ってしまう。
「負け犬の遠吠え」に受け取られてもそれは仕方がないなー。
実際、以前ズービン・メータと来日してブルックナーの「交響曲第8番」をベルリン・フィルがやると知った時は、チケットセンターに何十分も電話をかけて4万ちょっとのS席を買った。
それはメータが「ブル8」を振るからで、その相手がベルリン・フィルだということのプライオリティはかなり低い。
事実、もう35年くらい前のことだと思うけれど、メータがイスラエル・フィルと来日して同じく「ブル8」をステージに上げた時にも、「これは行かねば」と思って馳せ参じた。
そしてゲネラル・パウゼ(総休止)の度に、2,000人近い観客がいるとは思えない静寂の世界に鳥肌が立った。
それはベルリン・フィルの時も同じだった(音楽の印象はメータの加齢によって、いい意味で変わっていたけれど)。
要はベルリン・フィルやイスラエル・フィルを聴きに行っているのではないのだ。
メータを聴きに行っているのだ。
何故そんなことを言い出したかといえば、世界最高と言われるベルリン・フィルは世界最高に「巧い」オーケストラであり、それが故の功罪が相半ばし、私には「罪」の方が大きいように思えて仕方がないから、だ。
メータはそうではなかったと確信して言えるが、ベルリン・フィルは彼らのところにやってくる指揮者を、自分たちで「乗り越えようとする」、そしてその力が有り余っている。指揮者などいなくても、自分たちだけで音楽を作れてしまうのだ。
ぶっちゃけ、そうやって演奏されたものはオーケストラ音楽とは言えない別の音楽のように思えてしまう。
指揮者の解釈をほどほどに理解したら、後は自分たちでフィニッシュしてしまう音楽に正直耳を傾けたくない。
それは「マシーン」だ。
昔、ベルリン・フィルの団員のインタビュー集で、カラヤン時代の木管の要の一人、ファゴットのギュンター・ピークス(個人的にこの人は好きだ)が「ベートーヴェンの交響曲など、指揮者がいなくても、目を瞑っても演奏できるのですよ、我々は」と笑って言っていたのを読んだことがある。
それを「凄いなぁ」と思うか「そうじゃないでしょ、本来オーケストラは…」と思うかで、事の様相は大分異なってくる。
そのマシーンの「コア」であり、ミニチュアである今のベルリン・フィル八重奏団は、その器で室内楽を演奏する。
人数が少ない分、逆にベルリン・フィルの「罪」の部分がもっと際立つ。
喩えて言えば「赤子の手を捻る」ようにシューベルトを演奏する。
以前リリースされた彼らの八重奏曲のCDを聴いて「こりゃ、ダメだ」と思った。
「このくらいの曲だったら、僕たちがこーしてあーして、ちょっと手をかければ、こんな立派な聴き映えのする音楽になっちゃうんだよ」と言いふらすような演奏。
確かに八重奏曲は同じ作曲家の弦楽五重奏曲同様、室内楽の枠組みには収まりきらない、シンフォニーの領域に足を踏み入れてしまった作品なので、彼らにしてみれば逆に与し易い対象なのだろう。
だから悪戦苦闘もなく、汗をかくことなく、何事もなかったように大きな音で鳴らし切って音楽が終わっていく。
「こんなの朝飯前だよ」と言いたげな日本人コンサートマスター。
音のデカさや骨格の図太さでは、決して今のグループと遜色ないはずの1950年代のベルリン・フィル八重奏団の演奏は、言うことはハッキリ言いながらも、ちゃんと室内楽の枠組みに収まってドンチャンしていない。
一言で言えば「品」がある。「抑制の美徳」がある。
別にベルリン・フィルにフルトヴェングラー時代のようなドイツ・ローカルな音を取り戻して欲しい、とは言わない。そっちの方面はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とバンベルク交響楽団に任せておいた方がよほど世のため人のため。
しかし、自分たちだけでも音楽を作れると思い込んでしまうようなオケにはなって欲しくないな、と。
そうするにはやはり、アンドリス・ネルソンスか、エールフランスのパイロット稼業に一区切りつけて、再び指揮棒を持つことになったダニエル・ハーディングに、ベルリン・フィルの次期シェフになってもらう他なし、か?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?