「問う」の不思議

「問う」とはどういうことか。いまここで何かわからないことを問うているとする。「問う」とはその何かわからないもののほうに向かって問うていることだ。
つまり方向性のようなものを含んでいる。しかし、どの方向に向かっているのだろうか。だって問われているものはわからないのだから、わからないものに向かう方向などあるはずないではないか。
では「問う」ことに方向性はないとしてみよう。〈何かに向かって問う〉というありかたなしに問うことができるのだろうか。これでは想定される(問われている)対象と、問うている現在になんら変化をもたらさないのではないだろうか。まさに止まっている状態ではないのか(現状維持)。止まっているとは問うているとは言えないのではないか。〈問いを発する〉とは、やはり現在から別の場へ移ろうとする動き(営み)なのではないだろうか。
それでも、わからないことを問うているのだから、〈わからないものへ向かって〉というような方向性などあるはずないと思いたくなる。
〈問われているもの〉は問うことによってはじめて明らかになるのであるから、どの方向に問えばいいのかもわからないのではないか?(明らかになるまで確かな方向がみえない)。
問うとは、狙いを定めないまま銃を構えて狼狽えていることなのだろうか?
なんらかの方向性がありながらも曖昧なまま問うことしかできない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?