儀式と体操

5種類の決まった動作を、本番まで毎日繰り返しやることになった。

同じ動作を、「儀式」と思って行うか、「体操」と思って行うかで、だいぶ違った感覚になる。

例えば、思い切り上半身を反らせる動きを何度か繰り返す、というのは、一見健康や気分の向上に役立ちそうな「体操」だけれど、何の目的かは分からないが何かの「儀式」だと思ってやってみた途端に、そういう効用は一旦宙づりになる。首がきちんと伸びているかどうか、反った形がきれいに作れているかどうか、身体をチェックする視線が、行き場を失って消えていく。

やせたいとか柔軟になりたいとか強くなりたいとか、個人的な利益や効果を求めて行うのが体操で、儀式は自分の利益ではないもの、もっと抽象的だったり広範なものに念や願いを送るものだと、とりあえず言えるかもしれない。

体操を続ければ、そこには上達や熟練が伴うはずだけれど、儀式にも上達とかあるのだろうか。






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