別れ ―老女のひとりごと(6)
今年は、旅行をしている間に身内の不幸に二度も遭ってしまった。一度目は、大晦日に出かけ正月三日に帰った時である。翌日が通夜であった。二度目は、ついこの間(二月の後半)南紀の旅行に出かけた時である。
私は旅行中身内に電話などしない。南紀は熊野三山、速玉神社、青岸渡寺、紀三井寺等々、お寺が多い。那智の滝を見て忘帰洞に泊まり、二日目は白浜温泉。勇猛果敢な熊野水軍(海賊多賀丸の隠し洞窟)三段壁という所に私は圧倒された。大阪から羽田へといい気分で帰り、夜十時ごろ家に着いたら、電話がしきりと鳴っている。私の長姉の夫が亡くなっていたのだ。翌日が葬式だという。
度々病院へお見舞いにも行き、まだ二、三ヶ月は大丈夫と思い込んでいた私は、旅の疲れも重なってすっかり混乱をしてしまった。
夫より十も年上だが、堀の深い顔立ちが何故か皺もなくなっていて、夫の死に顔と見間違うほどだった。あの世とこの世との隔たりをまざまざと見せつけられ、またしても無常の思いでいっぱいになる。身近な人の死に遭うたびに、自分の寿命も少しずつ短くなるような思いがする。
義兄は、伊勢の生まれである。伊勢神宮近くの人は神に守られているためか、ほとんどの家が神式なのだという。それに、伊勢から来られた縁者の話によれば、義兄の先祖は伊勢神宮の禰宜の流れを汲むという。市川のセレモニー式場で葬場祭を執り行うことになった。
私にとっては初めての体験であった。お供えは大きな鯛、スルメ、昆布、お酒、お米、お菓子、野菜等々、神社と同じである。
あわれ○○○○の尊よ、よもつひらさかの国に隠れ給い、昨日も今日も寂しさいやまさり云々……、今日よりは、高天の原の神々の座におわしませば云々……、たいらけく安らけく……と、御祓いを受ける。
二礼二拍手(音無し)一礼をして玉串を捧げた。お棺の中にも花と一緒にお榊を入れ、火葬場でも神となった故人のために御祓いをする。
神様になれるならまんざら悪くもないなと思う。姉の夫は、我々と同様いたって無頓着不信心な人であった。もう八十半ば、東京暮らしも六十年以上になるので、仏式でもよいと言い、大分前に私たちの実家のお寺に二区画もお墓を買ってあった。
お寺の墓に入れるには宗旨を替えなければならない。だが、伊勢の縁者の気持ちも大事にしたいのだろう。新しく霊園を買おうかと、姉は迷っている。五人の子供たちは、母親の気の済むようにと言っている。幸い姉の所は金持ちなので、いずれはどちらかに決まることだろう。
この世では、色々としがらみが絡んで大変である。
だが、神様も仏様も、もしかしたら、あの世では仲良く同居をなさっていらっしゃるのかも知れない……。
1993.3
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