心の暗い部分を置く場所

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最近の記事

こんな世の中でいいのか

日本の政治が壊滅的だ。 なぜこうも根本解決できない、的外れ、場当たり的な政策しかできないのか。 それは、既存の枠組みを外したくない人たちがいるから。そこで利益を出している人たちが、政治には深くかかわっている。献金などに余念がなく、与党政治家もこの人たちには逆らえない。 日本が変われるとしたら、しがらみの少ない民主党が政権を取ったときだったのに。それまでの枠組みで得をしていた人たちはもちろん反対するし、金もあり賢かった。反対世論を作り上げた。みんな目先のことしか見ていなかった

    • これからは【頭がいい】が足枷になる

      最近SNSを始めて気づいたことがある。 ちょっと難しい話だと、全くウケないのである。 平易な言葉で語っても理解できない人も多い。 シンプルが頭に入りやすいし、頭のいい人ほどシンプルに語るものだけど、トピックまでシンプルでないと万人ウケはしない。 頭のいい人、小さい頃から勉強して、よく考え、知識を蓄えてきた人は少数派だ。 そして、いいね数、すなわち万人ウケがものを言うSNSでは、知識で語っても勝てないのである。 自分に自信を持つインテリは、隠してもインテリ感は出てしまうの

      • 親からの呪い

        ほんとこれ。 第一子だった私は、かなり濃い呪いをかけられた。 母は愛情深い(おそらく母性本能が強すぎて、子どもと自分の境界がわからなくなっている。子どもを大事にするが、それは自分のものだから)。 子ども(=自分自身)に、自分のつけられなかった学歴をつけ、自分の生きたかった(が生きられなかった)人生を託した。 もう、呪い以外の何ものでもないよね。 まずは、物理的に離れた。 それでも、子育てしていると、自分の常に呪われていた過去を思い出し、 刷り込まれている自分も、我が子

        • 子どもに無関心な父親

          一見子煩悩な父親。 学校や園の、父親が集まる会には出席するし、手伝いも積極的。 いつもおだやかで怒鳴ることも滅多にない。 妻の言うことにほとんど口出ししない。 だ、け、ど、 見かけだけで、その実、子育てを全くしない。 (家事が疎かだとやってくれるが。そういうお金で解決できるところより、お金で解決できない子どものことをやってほしい。忙しい時にまず手を抜くのは家事。そんなときは外食でもお惣菜でもいいのではと思う。そこではなく、手が抜けない子どものことを手伝ってほしい。贅

        こんな世の中でいいのか

          親が子どもの環境を選択する重圧

          私のせいで子どもに不利益を与えてしまったことが何回かある。 私の無知と思考停止によって、母が与える毒に気づかず、子どもを病気にしてしまったこと。 よかれと思った選択が子どもを苦しめる結果となってしまったこと。 そして、今回また、必要のない選択をして子どもを混乱させ不要な辛さを味わわせることになってしまった。 今まで大きくふたつの罪悪感を背負ってきたけれど、また1つ加わる。 そして、また将来私のやることで子どもを悲しい目に合わせ、私は罪悪感をせおうかもしれない。 もう

          親が子どもの環境を選択する重圧

          精神的な病?

          自殺願望のある私。 このことで病院にかかったことはありません。 自分が普通と違うことで一度診てもらおうと予約したことはありますが、人気なようで半年以上先、そしてその予約日に予定が入ってしまいキャンセルしてしまいました。 そもそも、予約のときに自殺願望があるか聞かれたので、自殺願望を持っていたら診察してもらえないかもしれないのですがね。 うつ病なのかな…ちがうな。 でも自分である程度気持ちをコントロールできるし、仕事とかやらなければいけないことはできる。後回しにしても期限ぎり

          精神的な病?

          家族も個人

          夫の子どもへの距離感を考えていて、私は家族を自分の範疇に考えているなと思い当たった。 もともと、幼い頃から自分の家族を恥ずかしく思っていた。恥ずかしいと思うということは、家族を自分の延長と考えていたからだと思う。 母は、他人を貶し、悪口ばかり言っていた。血縁のある親族以外は、仲良くしている友人でさえ悪口の対象だった。血縁のない親族の悪口もひどく、私は父方の祖母は母をいじめる悪者だと思って恨んでいた。先日その祖母のお葬式で思い返していて、私は祖母に何も悪いことをされた覚えな

          家族も個人

          子育てへの距離感

          過干渉の私とは異なり、夫は子どもへの距離感が遠い。 自分大好き。ほぼ自分のことしか考えていない。 でも、幸せのためにはそれでいいんだと思う。 他人のことを考えていいことはない。 他人のためにしたことが、その人のためになるわけではない。 ただ、子どものことは、自分ごとに思ってほしい。 社会的ではあるので、子育てを積極的にやる姿勢は見せている。 ただ、あくまで社会的に。 自ら望んで子どもに関わるわけではない。 過干渉な私を止めてほしいし、子育ての異なる考え方を知りたいと相談

          子育てへの距離感

          子育てをやめる方法

          ①離婚する(もちろん、稼ぎを担う夫に親権) ②家出する(子どもに悪い見本) ③死ぬ 一番子どもに悪影響を与えないのは、私が死ぬことではないかと思う。 ただ、死に方が問題。 自殺になるのだけど、もし家で自殺して家族に殺人の嫌疑がかかったら大変。親の死体を子どもが見るのも最悪。失敗して後遺症が残るのもだめ。 いま考えているのは2つ。 近所の駅で車を乗り捨て、足のつかないように、山か海で死ぬ。か、 飲まず食わずで栄養失調で死ぬ。 30年以上自殺願望を持ちつづけているのに死ね

          子育てをやめる方法

          子育てにつかれた

          子どもをたたいてしまいそうになった。 たたいたら逮捕だ。 逮捕してほしい。子どもに対して気づくと過干渉になってしまう私がこれ以上育ててはいけないと思う。 過干渉の恐怖と、罪悪感と、大嫌いだった母に自分が似ていることにきづく嫌悪感を感じながら、子育てするのに疲れてしまった。 でも親を犯罪者にするわけにはいかない。 親の私が言うのもなんだけど、子どもたちはみな、誰からも愛される素敵な子。 子どもたちへ私がいることで悪影響を与えないために、いますぐ子育てをやめたい。

          子育てにつかれた

          何も持ってない私

          私は10代になった頃から30年近く、未来を考えるべき時にひたすら人生の終わらせ方を考えていた。 もがいて、色々試したが、結局は自分の心を騙しているうちに時間が癒してくれた。30歳と区切りを設けたことで、なんとか生きてこられた。 が、今、自分の未来のために時間を使って来られた人たちを羨ましく思う。今、私には何もない。  

          何も持ってない私

          人間関係メモ

          1人だけに影響されてはいけない。親であっても。必ず弊害が出る。 1人に依存しては絶対だめ。 人間関係の不幸の原因の9割は「過干渉(余計なお世話)」だと思う。 期待は自分自身に寄せるものであって、他人に寄せた瞬間に甘えになる。 他人の生き方に口を出すことより、誰かに何かをしてもらうことを期待するよりも、自分の日々に集中すること。

          人間関係メモ

          毒親育ちの回顧録6

          母に精神的に頼れなかったので、友人に依存して生きてきました。 学生時代は常に親友がいたし、友人なしでは何もできなかった。トイレにも1人で行ったことがなかったし、もちろん買い物にも行ったことはなかった。 今思えば、友情ではなく、依存。 ターゲットをしぼって友達になり、相手の好意に甘えて仲良くしてもらってたように思う。 表面上の私は、たぶん明るく社交的で友人多く生活で苦労することなく恵まれているように見えていると思う。 ただ、その実、内面は弱く、打算にまみれ、性格も悪いし、病

          毒親育ちの回顧録6

          毒親育ちの回顧録5

          私が子どもを産まなければと強迫概念に囚われていたのは、もちろん母の影響。 「あなたは長女だから墓を守っていってね」 と言われつづけ、家を継いでいくことが使命だと思っていた。 (皮肉だけど、今実家とは絶縁して墓を守るどころではない) あらゆる性犯罪にあってきた私にとって、それはかなりの難題。会う人すべてが犯罪者に見える男性と関わらなければいけない、トラウマを克服しなければいけない。 結論だけいうと、考え出した荒療治の末、克服と(自分自身に)見せかけることに成功し、結婚

          毒親育ちの回顧録5

          毒親育ちの回顧録4

          母は、自分に学のないことを引け目に感じていて、子どもの教育には湯水の如くお金をかけていました。 私も子どもを持った今、高卒の父の稼ぎと、おそらく母の実家からの援助があったとは思うが、幼児教育から、当時は珍しかったであろう通信教育のようなもの、中学受験、私立中学高校大学…を2人分捻出するのは凄い執念だなと感じます。 だからこそ、この異常なお金のかけ方に、私はお金をもらって自分のことに使うことに罪悪感を感じてしまっていました。 ただ、もう本当にお金をかけてほしくありませんで

          毒親育ちの回顧録4

          毒親育ちの回顧録3

          小学生の頃の記憶の数々。 幸せだったのは、2歳年上の友達と野山を駆け巡って遊んでいたこと。 母との思い出は辛いものばかりでした。 強烈に覚えているのは、中学受験の頃。 私はその頃勉強のために子供部屋から出ることを禁じられ、夜遅くまで勉強しなければなりませんでした。 閉じ込められた私に、積極的に勉強しようという気持ちは湧きませんでした。 母への呪いの言葉をノートいっぱいに書いたりもしました。殺したい殺したい…それが形を変えて私の自殺願望に囚われた日々が始まったように思います

          毒親育ちの回顧録3