「生きる」ことに図太い私になるまで
私は潜在的にみて「図太い」人なんだと思う。
医者から短命であることを宣告され、学校から身体的に弱く学校生活に合わないかもしれないと言われても
ミドサーまできてしまった。
すんごい生きてきてしまっている。
自分の身体弱くてダメだな、本当に生きづらい。私が生きていける場所はあるのだろうか…と探し続けて…探し続けて…
ミドサーになってしまった。ギャグかい。
性格的には諦めが早いし生きることに懸命でもないと思うんだけど
めっちゃ生きてるじゃん。焦るわ。
しかも昨年出産し、母になった。
これもまたびっくり。
妊娠しづらい体質と言われたけど自然に授かることが出来た。
生きることに焦点を当てるとしたら私はとてもラッキーなんだと思う。
生きられている、苦しくてもなんとか。
でもここまで思えるようになるまでにかなり辛い経験をたくさんした。
何でこんなに被るの?ってくらい色々あった。
Xで論争バズになるポスト(毒親系、義父母問題、性被害、いじめ…)は何かしら私の経験に触れる。だから考え込んでしまう時も多々ある。
今も色々ある。
色々あるけど、今日も生きている。
無事に朝を迎えている。
多分、私は図太いんだと思う。
でも耐えられない思いが自分を蝕むこともある。
ここでは、私が私になるまでの、図太い私で良かったよね!?って思えるようになりたい私が普段閉まっている心の奥に閉ざした悲しみのフタをあけてつらつらと書いていこうと思います…!たまに今の日常のことも書いちゃうと思う!!
誰しもが悲しい経験をしてると思う。
少なからず心に影響してるよね。
悲しい経験なんて無かったらいいなって思うよね。無かった方が「普通」でいられたんじゃないかって思うよね。
もしかしたらそうかも。
でも、もしかしたらそうじゃないかも。
悲しみも苦しみも持ち続けてもなんとか生きているあなたは偉いよ。
人間が普通に過ごすであろうとされる社会枠に身を削って沿っているあなたはすごい。
息を吸って吐いてるだけで尊い!!
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