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価値を交換する

クリエイターあるあるかもしれないけれど、「値段をつけるのが苦手」という人が結構な割合でいるような気がする。
私もその1人で、自分で自分の値段を決めなきゃいけないのはとても難しい。大体の相場を調べて、安すぎず、高すぎず、といった値段の決め方をしてしまう。そしてもう、最近は自分で決めずに誰かに決めてもらっている。

一方で、クリエイターにタダで仕事を頼む問題、みたいなのには非常に憤りを感じる。リスペクトが足りないのだ。私はそういう理不尽な要求を受けたことがほぼ無いのでまだ幸せな方かもしれない。

今回のコロナ騒動で、経済がストップして、私の仕事もストップした。
記念写真の撮影って、本当に平和な仕事だったんだな、と思うのと同時に不要不急のジャンルに入ってしまう私の仕事って一体なんなんだろうということも同時に考えてしまった。

お金を稼ぐことに対する罪悪感みたいなものを、少なからず持っていて、「金持ち=悪代官」みたいなそういうイメージがあるような気がする。
これは、起業して何度も「お金を稼ぐことが悪いことと思ってない?それっておかしいよ」と言われ続けたことでちょっとはましになってきた。でもやっぱりまだまだ少し苦手。

経済活動にお金を介在させない方法ってないのかな、ということを最近考える。
昔、親友が「小さなコミュニティで循環型の暮らしをしたい」ということを言っていて、同じ村のなかに、洋服が作れる人、野菜が作れる人、家具が作れる人、そう言った人たちが自分の得意を持ち寄って、村中みんなの生活が成り立つというイメージだそうだ。
私は、自分の持っている価値をお金ではない何かと交換できる方法はないものかと考えていた。
例えば、パン職人さんの記念家族写真をとる代わりに、撮影代金分のパンをもらうとかそういうもの。売値での計算で撮影料分のパンをもらったら、相手も利益分だけお得な撮影ができるじゃないかと。

そしてお隣さんに赤ちゃんが生まれたときに、価値交換を実践してみた。
私が写真を撮り、美容師であるお隣さんに息子の散髪をしてもらう、というものである。
いい。とってもいい。子供の髪はこれまで私が切ってたけど、もうめちゃくそかっこよくなった。子供も大いに気に入ったようで、また切ってほしい!と言っていたし、お隣さんも産休に入って腕が鈍っちゃうから伸びたらまた切るね、と言ってくれた。

そして、ある日、同じようなコンセプトのサービスを見つけた。その名も「cocan」交換、である。

twitterで見つけた時に「おお、なんか面白そう!」とすぐに飛びついた。
これは「ちょっとしたこと」の交換なので、利用する方も出品するほうも、わりと肩の力を抜いて参加できるところもいい。

と、このnoteを描いていたら、こんなニュースが。

やっぱり物々交換は心があったかくなるみたい。
なかなか交換が成立しない場合も多そうだけど、誰かの役に立てるって自己肯定感がぶち上がる気がします。

コロナ 災禍でいろんなところがオンラインで無料配信、無料配布を色々とやってる。もしベーシックインカムがあれば、無料で価値を配布することもこれからは可能になっていくかもしれない。
そんなことも考えたりもする。

お金のことを考えずに、いろんな人に価値を交換したり配布できたりしたらどんな世の中になるのかな。
cocanで交換した体験談もまた書いてみます!



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