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ホームシアターは映画館になれない

大概の私の好きなものは、部屋を見渡せばそこにある。恐竜のフィギュアや本、愛すべき私の“不要不急”なものたち。好きなものの代表格である映画だって、パソコンやテレビで観たい時に観られる。しかし、やはりここには大きなものが欠けている。映画館だ。

わたしは、映画館が大好きだ。

自粛期間を迎えても、部屋にホームシアターを作ろうと思ったことはない。何故なら、映画館を家に作ったところで、それは映画館の役を担えないからだ。

映画館は、全く違う代物だ。まず、匂いが違う。大手シネコンに足を踏み入れた時に、真っ先に香るキャラメル。そして何かジューシーな匂い……ホットドッグだ!特別美味しいわけではないけど、あのチープな味が逆に好きな一品。
単館や名画座は、そこまで食べ物の匂いはしない。しかし、匂うのだ。シートの埃っぽさ、そしてシネコンよりはっきりと感じられる人の匂い。タバコや香水の匂いを超えた、私の知らない生活の匂いを纏った人々が一室に集まって、同じスクリーンを見つめている。

映画館はこんな風に、人がいる。私の部屋には、私だけ。なんて快適なんだろう!マナーの悪い人もいない。でも違う、そういうことではない。その不都合さがあっても、その場に偶然居合わせた赤の他人と暗闇の中で一緒に笑ったり、泣いたり、隣の人と言葉も交わしていないのに以心伝心している気がする、そんな空気感を私は愛していることに気づいた。

ちなみに、映画館のトイレも好きだ。あの空間には排泄以上の意味がある。観賞後、黒い目元を拭いたり、少し一息ついたり。同じように何か良いものを観た、という気配を漂わす女性陣と列ですれ違う。外で待つ人と、こんな会話を始めようと考えながら、マスカラを塗り直す。そういう、場所だ。

子供の頃の映画館での記憶というのも、鮮明に残っている。私の地元には大きめな映画館がひとつ、ミニシアターが2つあった。大きめなところでは、「ゴジラ」や「ドラえもん」、「コナン」などが公開されていて、足を運んだ。

対して地下にあった、スクリーンが1つか2つのミニシアターでの思い出の方が、強く残っている。そこは洋画を主に扱っていて、愛する『ジュラシック・パーク3』もそこで観た。特に、『ロード・オブ・ザ・リング』を観に行った時、入り口でシールを貰ったのと、売店で駅のキヨスクによく売っている苺のチョコを買ってもらったのを覚えている。多分、嬉しかったんだ。

嬉しかったと言えば、中学生になって少し離れた駅の私立に電車通学していた私を、放課後に母が途中駅で待ち構え、サプライズで映画館に連れて行ってくれたことだ。観たのは『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』。その前の「炎のゴブレット」を先に話したミニシアターで観た(湖の試練の最中にトイレに行ったことが悔しくてよく覚えている)から、間違いない。何故、同じ映画館で続編を観なかったかというと、もうその小さな地下のシアターがなくなっていたからだ。それだけではない。私が幼少期、両親と足を運んだ思い出の映画館は、もう全てなくなってしまった。今、地元には映画館がない。

そんな風に、私は愛する映画館を失ってきた。しかし、大人になってから出会い、通い、自分にとって特別な、愛して止まない映画館もできた。それが再び今、この流行病の影響で私の前から失われる危機に瀕している。子供の頃には失われる危機に気づけず、気づいたところで救う手立てさえなかった。

私のだいすき、な映画館を私には作ることはできない。しかし、今なら多分守ることはできるはず。

またあの馴染みのロビーに足を踏み入れて、そこにいる誰かと映画を観たい。

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雑誌『ケトル』特別企画「#わたしのだいすき」をみて、わたしも好きな映画館について、そして今日は母の日ということもあるので母と映画館にまつわる思い出について書きました。写真はバークレーで暮らしていた時、一番好きで通っていたシアター!
私はこの前UPLINKさんの特典付き映画券を買って、微力ながら支援させていただきました。(トートの色は青にしたよ)興味のある方は、ぜひ。 

https://www.uplink.co.jp/news/2020/53445 




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