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10minutes diaries/322

令和4年9月5日(月)

スマホとかすぐに取り出せて便利だから、隙間時間に触っちゃったりするわけだけど、場合によっては、何かをしながらみたいなこともあったりして、どんどんその境目は曖昧になって、一つ一つの輪郭は融解されていく。

一人でごはんを食べてたりすると、横目でスマホを見ながら食べてしまったりするのだけど、ある時気がついた。
「ごはんに集中したほうが、おいしい」

これは、僕だけの感覚なのか、他の人もそうなのかわからないんだけど、僕の場合は少なくともそうだ。
スマホを見ながら食べていると、確かにおいしいのだけど、味覚、食感の他にも意識がいってしまうから、どうしても一つ一つで受ける、僕が認識する感覚が弱くなったりする。
考えてみれば、食事をしてる時にどうしても、取り入れなければいけない情報なんて、ほとんどないわけで、どこか惰性というか、手持ち無沙汰から、そんなことをしているような気もするけど、ごはんを食べること、その味を堪能することを「手持ち無沙汰」と思ってしまっている時点で、どこかもったいないというか、自分でやっててなんだけど、寂しさがあったりする。
家で映画を見る時なんかも、前はそれなりに集中していたのだけど、もう、ここ数年は、スマホをいじりながら見てしまったり、隙間時間に見たりするから、せっかくの映画の流れみたいなものをぶった斬ってみてしまったりする。

そんな、忙しいわけでもないのに、そういった行動をとることで、むしろ忙しさみたいなものを自ら創造してしまっている気もするし、一つ一つの行動は曖昧になってしまって、本来享受できたはずの何かをみすみす手放してしまっているということもあるのかもしれない。
昭和のおじさんみたいなことを言ってしまったが(実際に昭和のおじさんだが)、やっぱりもう少し、その時間は、そのことをしっかり堪能するぐらいの気持ちの余裕は、あったほうが、結果、豊かな人生になるような気はする。

見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!