10minutes diaries/346
令和4年9月29日(木)
僕は、旅行が好きで、時間があれば行きたいとは思っている。
やっぱり普段とは違う景色を見て、違う時間が流れていることを体感すると、リフレッシュできるというか、同じことを考えていても、新しい気づきもあったりして、人生を豊かにするものだとは思う。
そんな、旅行の中でも、僕が好きなシーンというか、光景がある。
それは、洗濯物が干されている光景だ。
なんだかわからないのだけど、あの光景を見ると、「生活」している、「生きている活動をしている」ということを、どうしてか感じてしまう。
生きていれば、色々と汚れてくるけど、それを次に向けてきれいにしようとする行為だし、自分でもそんなことは考えていないけど、またそれを着る、着ようとしているという意味では、洗濯することが、なんか、これからも生きていこうとする意思のような気もする。
洗濯するというのは、どんなに貧乏な人でも、どんなにお金持ちの人でも、どんな地域に住んでいても、同じようにする行為であって、なんというか、洗濯するという行為には優劣がないというか、結局は同じ人間じゃないか、同じ生きるということをしているじゃないかと、そんなことを、あの風に揺られる洗濯物を見ると思ってしまう。
今思い出したのだけど、ちっちゃい頃から、どんなに高価なものを身に纏ったとしても、脱いでしまえば、同じように裸であって、同じじゃないかという感覚があって、確かにそんなにお金のある家ではなかったけど、そんな平等感というか、そのことを思うと、どこか安心していた自分がいたように思う。
なんて、そんなことを、寝る前の布団の中で思っていたのだから、やっぱりそれなりに変な奴だったのかもしれない。
それにしても、この平等というか、皆同じであるみたいなことがもたらす安心感みたいなものは、全く意識してこなかったけど、一体何がそうさせているのだろう。
見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!