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10minutes diaries/95

令和4年1月21日(金)

ものを作るということ。
僕は、再生回数15回程度のyoutubeのラジオをやっている。
podcastでも配信をしているが、もちろん聞いていただいている人には感謝をしているし、その人に向けて一生懸命やっているつもりではあるが、決してたくさんの人に聞いてもらえている状態ではないと思う。
この、日記だって、決してたくさんのPV数があるわけではないし、写真を載せたらもう少しPV数は伸びるだろうなぁとは思っているけど、結局やっていない。
これまでも、本を書いたり、絵を描いたり、思いつくことは色々してきたつもりだが、これといった、社会的な評価は受けていない。

そんなことをしていると、「なんのためにやっているの」とよく聞かれる。
これについては、前にも書いたことがあったが、今日、たまたま、ある人に度を超えていじられたので、改めて考えてしまった。
なんのためにやっているのか。
シンプルに言えば自分のため。
自分が表現したいから。
それ以外にはない。
もちろん、その表現したものが、結果として、誰かの役に立てば嬉しいが、それはあくまでも結果論である。
それ以上に、今自分がやりたいことが十二分にできているかが、僕の中では最も重要なことである。
「なんのためにやっているのか」と聞く人は、全てにおいて意味を求める人なんだと思う。
ある意味では効率的なのかもしれないが、果たして、僕らがやっていることに、もっと言えば、僕らが生きていることに、意味など、価値などあるのだろうか。
その中における、「効率」とは一体なんなのだろうか。

そして、改めて思った。
「やっぱり、ものを作る人は愛おしい」と。
人が作ったものにいちゃもんをつけるのは、実に簡単だ。
そんなものは、誰にでもできるし、ガキにだってできる。
そんな、人に批判されるリスクを背負って、ものを作って、人前に発表をするということがどれだけすごいことか。

多分、そんな、批評しかできない人は、批判に晒されるだけの勇気もないし、そもそも表現をするだけの自分の考えもないし、それを形にできるアイデアもないし、さらに言えば、それを続けるだけの根性もない。
まぁ、ある人から見れば、結果が出せていない、社会的な結果が出ていないのであれば、負け犬の遠吠えという人もいるのだろう。
僕は、それで大いに結構だと思っている。
人が作ったものに、ケチをつけるだけの、ただの批評家になるぐらいだったら、傷を背負う覚悟を持って、ものを作る人の方が、よっぽどかっこいいと思う。
お金にもならないものを、誰にも迎合せずに、作り続ける、そんな変人が、僕は好きだ。

見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!