sustainable
一般的に、人間には、三大欲求があると言われている。
「食欲」「睡眠欲」「排泄欲(性欲)」の3つである。
ご多聞に漏れず、私もまた、一人の人間として、これらの欲求を持っている。
ふと、思う。
なぜ、私たちはこれらの欲を兼ね備えているのか。
「そういうものだから」と言ってしまえばそれまでだし、この欲を基本としてこの資本主義経済の世界が成り立っていて、その恩恵を受けてこうして生きていることを思えば、もはやそれ以上考える必要もないのかもしれない。
でも、これらが動物的本能であることを考えれば、必然と私たちは、「ヒト科」という動物の一種であることを思い出す。
私たち動物は一体、どんな本能を持っているのだろうか。
私は生物学者でもないので、専門的なことは一切わからないが、この欲を考えていった先に、一つのことに辿り着く。
「生きて、繋げる」
これらの3つの欲求は、動物として物理的に生きていくために必要な欲である。
どれか、一つでも影響が出れば、生きづらくなるだけでなく、生死にも関わってくる。
とするならば、死ぬその瞬間まで、これらの欲があることを考えると、おそらく、生き抜くことを前提に、この体は出来ている。
冷静に考えれば、「何をそんな当たり前なことを言っているんだ」となるだろう。
それは、もちろん自認しているが、改めて、そんな当たり前なことを考えてみた時に、「死ぬためではなく、生きるための機能がこの体に備わっている」ということを痛感するのだ。
そして「繋げる」ということ。
性欲があるのは、子孫を残すため。
我々の意思とは別に、本能として、そういう機能が備わっている。
もちろん、身体的に難しい方や、自らの意思で、子孫を残さない、残せない方はいらっしゃる。
一応述べておけば、私は、多様性を尊重すべきだと思っているので、それぞれの意思は尊重されるべきだし、子供が欲しくてもなかなか難しい方については、可能な限りの支援と、選択肢を提示できる社会であるべきだと思っている。
それとは別に、基本的には、未来に種族を残すという、本能があると私は思っている。
親をはじめとして、その先祖もまた、そうした欲を持って繋いできてくれたからこそ、私はこうして、生きている。
と考えれば、我々種族の未来を願う、もしくは憂うということは、実に自然なことであり、ある意味では義務、使命にも似たような何かのような気もしている。
じゃあ、ただ、子孫を残せばいいのか。
いや、「環境も含めて残して行くべきだ」と、私はそう思う。
環境とは物理的な自然はもちろんのこと、制度、ルール、文化、風潮、そういったことも含めての環境である。
これからを生きる人たちに生を繋ぐため、その人たちが生きる環境も含めて、残して、もしくは作っていかなければならない。
昨今、SDGsやESG投資など、持続可能性について議論されることが増えてきている。
この世界は私たちのためだけに存在しているのではない。
過去の人、未来の人、他の動物、生物、その他全てのものにとっての世界である。
「今を生きる我々は何をすべきなのか」
そのことを今一度考え、小さなことであっても、自分が出来るところから、粛々とやっていきたい。
見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!