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10minutes diaries/251

令和4年6月26日(日)

音楽のサブスクはSpotifyを使っている。
特に大きな理由はないのだが、7年前くらいに、当時一緒に住んでいたシェアハウスのドイツ人におすすめを聞いたら、Spotifyを勧められたのだから、当時まだ日本版がなくて、勧められた数ヶ月後ぐらいにやっとリリースされて、偏屈な僕は、まだユーザーが少なそうなそれを使い始めて、結局ここまで来ている。

Spotifyはオリジナルコンテンツも結構あって、それが好きだったりするのだが、最近また面白いのを見つけた。

聴漫才。
芸人さんが30分、一本取りでネタをやるというものだ。
どうやら、劇場でも、やって15分くらいということで、30分というのは相当長いらしい。
また、視覚が無いから、当然話し言葉だけで進めていかなくてはいけないのだが、漫才の場合YouTubeとかで聞いてても面白いからいけるものだとは思うけど、それでもやっぱり、ある程度説明は必要になってくるんだと思う。
コントだと、長いものだと30分ぐらいできるものもあると思うが、漫才で30分というのは難しいらしく、シンプルに15分のネタを2本やればいいということなんだろうけども、その繋ぎだったりを自然にするというのも、すごく難しそうな感じがする。

僕が、この番組の何が好きかというと、言葉に語弊があるかもしれないが、完璧ではないという部分だ。
30分もあると、ある程度フリートークとかアドリブみたいな部分も増えるし、場合によってはそれがぐずるときもあるし、逆にすごく面白くなる時もあるし、さっきも言ったけど、ネタをつなげる時のスムーズさとか、ネタの展開とか、いい意味で粗くなるというか、そういうのが見えたりする。
テレビや動画では、どんどん無駄なものが削られて、ある意味ではコンパクトにまとまった完璧な作品なのかもしれないけど、どこか、あそびというか、空白がないというか、そこに僕はどこか寂しさを感じてしまう。
音楽とかでも、今のアーティストというと、なんか年寄りのような発言になっちゃうけど、やっぱりすごくクオリティが高くて(素人のくせに偉そうなこと言ってすいません、、)、アルバムも全部4番バッターみたいなキラーチューンになってて、当然いいアルバムなんだけど、どこか息をつく暇がないというか、常に気を張っている感じがしてしまう。
一曲が切り取られて、サビだけが切り取られて、そうやって音楽を堪能する時代においては、曲もそれに合わせて作らなければいけないのかもしれないけど、やっぱり僕は、どこか不完全なものが好きだし、隙間が好きだし、空白がすきだし、遊びが好きだし、曖昧さが好きだし、無駄がすきだだったりする。

だから、この時代において、聴漫才というのは、カウンターカルチャーというか、僕が好きなコンセプトだなぁと勝手に思って、通勤時間のお供にさせていただいている。

見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!