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10minutes diaries/279

令和4年7月24日(日)

誰だったか忘れてしまったが、「なんでLINEの文章、ひらがな多いの?」と聞かれたことがあった。
その時はなんて答えたのか記憶が定かではないが、「なんとなく」みたいな回答をした気がする。

でも、なんかそれからちょっと気になってしまったのか、ちょこちょここのことを思い出すようになった。
確かに、相手とのLINEのバランスを見ると、自分の方がひらがなが多かったりすることがある。
別に意識をしているわけではないけど、ニュアンスみたいなものは無意識的に気にしている気はするし、その文章というか、その気持ち、その感じを伝えるには、ひらがなの方があってるなと、そんなことを思っているんだと思う。
でも、たぶん、こういう日記の時はもう少し漢字が増える気がするし、もちろん数えてはいないけど、おそらく物語を書く時はもっと漢字が増えていると思う。
そんなふうに、その場面場面で使い分けていることなんて、指摘されるまで全然気がついていなかった。

でも、確かに、僕はひらがなが好きだとは思う。
なんか、優しい気がするから。
LINEとか、そういう日常会話の時は、やっぱり優しい言葉を使いたいし、それはあるような気がする。
だから、だからといううのもおかしいけど、ローマ字も、僕は大文字よりも小文字の方が好き。
同じく、優しそうに見えるから。

きっと、僕は優しいものが好きで、まぁ、みんなそうなんだとは思うけど、優しいシーンを見るとぐっとくる。
それは、自分自身が優しくないからであって、もしかしたら、優しさというものに憧れているのかもしれない。
18歳の時に初めて一つの概念について考え始めたきっかけも、同じクラスの女の子の優しさを目にした時だったし、言ってみれば、ずっとこれに囚われているのかもしれない。

人には優しいと言われることもあるけど、これは本当の優しさではない。
本当の優しさが何かはよくわからないけど、そんなものは、それに触れた時に直感でわかる。
僕は優しいふりはできるけど、優しくはない。
もし優しいと言われるのであれば、それは、後天的に、そして理性的に身につけた技術のようなものだと思う。

いつになっても、優しさの答えは出ないし、ずっとこれと戯れて生きていくんだろうなと思う。

見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!