10minutes diaries/187
令和4年4月23日(土)
飽きがくるというのは素晴らしいことなんだなと思った。
飽きるというのは、多分世の中的にも、あまり肯定的なこととして捉えられてないと思うし、継続が大事だとは思っているので、飽きるということには、どこか後ろめたさも、同時に生じるような感覚があった。
でも、ふと思った。
「飽きがきちんとくるから、安心してはまることができるのではないか」
と。
何事もバランスをとりたがる身としては、はまるということが、どうも怖いのか、自分自身をコントロールできなくなってしまう気がして、どこか無意識的にも避けてきたように思う。
だから、もちろん夢中になることは今までもあったし、今もあるのかもしれないけど、はまり過ぎないというか、夢中になりきれないというか、それがコンプレックスでもあったし、自分自身を見失わないように自らを飼い慣らすということは、もしかしたら自分自身が望んでいたことだったのかもしれない。
多くのことには、きちんと飽きがくる。
それを認識してこなかった。
飽きることはよくないことだから、どうにかして飽きないようにしていたのかもしれないし、飽きそうになったら、目をそらしていたのかもしれない。でも、飽きがくることがわかっているのだとしたら、それは、つまり、安心してのめり込むことができるということなんじゃないかと思った。
もちろん、そのはまりがどれだけ続くのかもわからないし、場合によっては一時的に何かに支障をきたすこともあるのかもしれない。
それでも、自分の経験の中で言えることは、多くのことはちゃんと飽きてきている。
逆に、飽きずにずっと続けていることの方が少ないし、続けているのだとしたら、それはきっと本当に好きなことか、もしくはもう日常に溶け込んでしまっていることなんだと思う。
飽きがあってよかった。
まさか、そんなことを思う日が来るなんて思わなかった。
見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!