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10minutes diaries/283

令和4年7月28日(木)

生きるというのはいかようにも定義することができるし、つまりは絶対的な意味など、そこには存在しないということなのかもしれないけど、一つの側面として、未来を形成しているということはあるような気がする。
未来を形成しているなんていうと、なんだかかっこいい感じもするがそういうことでもなくて、ただ、今やっていること全てが、自分らが死んだとて、先の世界に影響を与えてしまうということだ。
無責任に生きるということは、無責任に世界を構築していることだし、でも、同時に、責任を取るというということもよくわからない。
組織だったらやめるということなんだろうけど、人生をやめたとて、やっぱりやったことは何も消えずに、それは責任を取るということに値するのだろうか。
決して僕らは責任なんて取れないし、できて責任を取ろうとする姿勢ぐらいであって、たぶんそんなのは意味がなかったりする。

どこまで行っても、たぶん、無責任でしかいれないし、自分が死んだ後の世界のことなんて、どうしようもできないし、何をしても、終わるし、始まるし、そこに境界線がありそうでないし、もう、全てがアホくさくなる。
結局、享楽的にお酒でも飲んで歌を歌って生きるみたいなことになってしまう。
でも、まぁ、それ以上でもないし、それ以下でもないし、全部消えるし、全部あるんだけど無かったことになるし、なんでもよくなるね。

見ていただけたことが、何よりも嬉しいです!