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10minutes diaries/100

令和4年1月26日(水)

遠慮をすること。
これは、日本人のある種の美徳のような気はする。
「日本人」という、大きなカテゴライズも、個人的にはあまり好きな表現ではないが、やはり島国であり、かつ、おおむね単一言語で統一されているということを考えると、ある程度、共通した感覚みたいなものはあるようにも思う。
遠慮をするとなぜいいのか。
何が美しいのか。
たしかに謙虚な姿勢はあるだろう。
もしかしたら、上品さみたいのもあるのかもしれない。
ただ、これについては、数年前から思っているのだが、もちろん、全てはバランスなので、過ぎるとそれはそれで歪さを生じさせるきもしていて、この遠慮というのはまさにその典型例のような気はする。

「遠慮が過ぎると、失礼に当たる」
僕は、そんな気がしている。
せっかく譲っているのに、せっかく好意でプレゼントしているのに、それを受け取らない。
失礼をしないようにしていることが、結果として失礼に当たる。
たまに、譲り合っているような場面を目にすると、僕は自分から行ってしまうこともある。
単純にあの空間が嫌なだけかもしれないけど。
遠慮をすることは、必ずしも礼儀ではない。
己の意思を見せてほしいとう場面だってあるだろう。

結局は、中庸が大事ってことなんだとは思うのだけど、その中庸を探す作業が難しいのであり、また、その時々で中庸も動くのだとしたら、僕らは、やっぱり場面場面で判断するという高度さを求められるということなのだろうか。

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