正しいかもしれないし、間違っているかもしれないし、もしかしたら、そんなものは、そもそも有りもせず無かったのかもしれない
20代の中頃だっただろうか。
真理と言ったら大げさかもしれないが、私はあることに気がついた。
「もしかしたら、正しいものなんてこの世にないのかもしれない」
私は、身長が158センチしかない。
「しかない」と言ったのは、周りの大人の男性を見てみても、なかなかこんな小さい人はいないからだ。
良いか悪いかはわからないが、私は自分の背の低さを認識しつつも、それほど嫌だと思ったことがない。
そんなことを言うと、「またまたー」と周りの人からはびっくりされるが、中学校の時には騎馬戦で上に乗れたし、たまに30歳を過ぎても20代に間違われたりすることもあったり、身長の小ささでみんなにいじってもらえたりなんかして、私としてはむしろ大いに利用してきた節はある。
確かに、ちょうど良い服や靴を探すのが大変だったり、音楽のライブに行っても前が見られなかったり、学生の頃は男として見てもらえなくて悔しい思いもしたが、それ以上に恩恵を受けてきたような気がする。
ある日のこと。
たまたま、実家に帰った時、母親が私にお願いをした。
「あの台所の上の棚にある箱取って」
私は棚の扉を開け、箱を取って、母親に渡した。
すると母は言った。
「あんた、お母さんより大きいから、こういう時助かるわ。ありがとう。」
はっとした。
考えてみれば、父も母も、私より小さい。
つまり、この3人で考えた時には、私は一番身長が大きいのである。
そして、思った。
「なるほど。身長の大きい小さいは状況如何で変わるのか。」
朝、大雨が降っていた。
濡れるのは嫌だから、傘をさす。
午後になり、雨が止んで、日が街を照らす。
ふと、手に目をやると、そこには畳んだ傘。
そして、思う。
「こんなに晴れてるのに、傘、ちょっと邪魔だなぁ」
所詮、全ては関係性でしかない。
明るい暗いも、長い短いも、硬い柔らかいも、冷たいも熱いも、楽しいもつまらないも、相対するものは、その時の関係性、状況、環境、時代、気分によって変わる。
昨日まで好きだったものが、急に興味なくなることもあるだろう。
昨日まで正しいと言われていたことが、急に間違いだと言われることもあるだろう。
その正しさだって、本当に正しいのだろうか。
それが正しいと誰が決めたのだろうか。
それを正しいと証明できる根拠はどこにあるのか。
誰かにとっての正義は、誰かにとっての悪なのかもしれない。
そう考えれば、なかなか人を非難することも難しくなる。
何せ、正しいものはないのだから。
そこにあるのは、この瞬間の自分の好き嫌いと、現時点の社会で決められたルールだけである。
であるなら、正しいものはないことを前提に、どうしたらより平等なルールを作れるか、それが組織を運営する人には求められるのだろう。
そして、いうまでもなく、「正しいものはない」という視点に立てば、私の意見も、あくまでも世に転がる単なる思想の一つであって、正しいわけではないのだろう。
とんちのようだが、私の目には、そんなふうに世界が写っている。
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